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志ん生なんかを聞いている。
不思議だろうなあ。イヤホンを付けていて、ときどきにやっと笑う。
志ん生の語りは、ほんと、たけしと同じだな。逆なんだけどね。たけしが非常に影響を受けている。
大ネタでもなんでもないけど、「黄金餅」とか、「天狗裁き」なんてのは志ん生の調子に合っている。この志ん生を長嶋に喩えると、たぶん、王が円生。緻密で正確で揺るがない。志ん生志ん生を聞いているという気にさせられるし、円生が噺の素晴らしさを感じさせる。どちらも捨てがたいが、ボクは志ん生にはなれるかもしれないが、どうやら才能が少し足りない。
仙人になるには仙骨というのが要るんだそうで、この骨がもともと少ないと、どんな仙術の修行に励んでも仙人になることはできないんだそうだ。
才能というには少々違う。才能は磨けば可能な限りの性能を発揮するが、仙骨が不足しているのは、もともとの素質が違う。才能と素質を混乱して使うような言い方をときどき聞く。
志ん生はどうやら素質もあったが、よく磨いて才能としたらしい。