ソフトボールだけど

この町にTさんという人がいて、教員の仕事と合わせて、長い間体育協会の仕事に関わってこられた。かつての先生というのは、そういう地域の仕事もちゃんとやっている人が多く、何らかの形で地域の教育力の調整役や、時にはリーダーシップを取ってきた。T先生もそういう方で、ボクは退職されてからの活躍の方をよく知っている。
Tさんが亡くなられた時、町にある程度の金額を寄付され、何に使おうかを腐心した時、子どもたちの活動に、ということになった。夏休みを使って子どもたちが自分たちで作ったチームでソフトボールをしてはどうだろう。小学校4年生から中学校3年生まで2人ずつ、10人シフトのソフトボールで、上級生の子どもたちがみんなをまとめて練習したり、試合を進めたりというものだ。大人の監督は付けるがそれはマネジメントだけで、特に、中学生が地域の子どもたちとのつながりを作っていく、そんな大会にしたいと、T杯ソフトボール大会は生まれた。
Tさんにはかわいがってもらえたが、ボクは残念ながらこの大会には一度も出ていない。現在、U高校の監督をするご近所のこうちゃんがやけに野球がうまくて、学年を下げれば、例えば5年生2人、4年生を2人のところを、5年生1人、4年生3人というやり方ができるため、中学生のボクを差し置いて、小学校4年生のこうちゃんが出てしまったのだ(笑)まあ、それはそれでボクらしいし、そういう選択をしたのはヘッドコーチ役のIさんや、T商業に進んだYさんだったので十分納得もした。
数年前、このT杯ソフトボールが危機を迎えた。出場チームがなくなりそうだったのだ。最近では、既存のソフトボールチームと熱心な児童クラブだけのものになっていて、強いチームを編成するため、まとまりのあるチーム編成をするため、自然、有象無象が少なくなっていた。そこに、子どもたちが糾合したチームで参戦し、何とか大会が形になった。監督には、Tさんと親交が深かったうちの父をとも思ったが、少年チームの監督をするH先生にお願いした。H先生は、この大会の意図をよく知っていて、けっこうおもしろがりながら子どもをサポートしてくれた。
長男の友達も呼応して、翌年は久しぶりににぎやかな大会になった。
長男が高校に進んでからは、何となくその思いがうまく後輩に伝わらずまた賃貸したが、次男の時代になって、もう一度そういうチームを編成した。
今年の大会は今日だった。応援にはいけなかったが、あまり、親が騒ぎたくない、「子どもの日」のように思っていたこともあって、結果をしっかり聞いてやる、つまり、彼自身の評価を受け止めることが肝要であろうと思った。
聞けば、おもしろい試合をした挙げ句、負けたらしい。力は十分だが、予想外の展開に苦笑いと大笑いを繰り返したみたいだ。いい一日が終わった。相手チームは、大人がコーチをして、熱心な応援団も詰めかけて、さながらアウェイ。そういう大会ではないんだが、「子どもたちに勝たせてやりたい」なんていう成功体験の単純化(「成功させ体験」と呼んでいる)をいい口実にして何か僭越な状況を生んでいるようにさえ思えてしまう。負けることと挫折は違う。敗者を敗北者と考えてしまう短絡的で、無節操な強迫観念が多くの場面にある。