遊ぶ、楽しむ

もうこの週末は呑気に何もしないと決めたので、朝からチャンネルを取っ替え引っ替えしていた。
まず、目に付いたのは、BSハイビジョンのスピードスケート(ショートトラックに対して「アウト」というそうだ)の特集で、加藤条二と清水宏保を追いかけている。どうやら再放送らしく、加藤がカルガリーだったか、ソルトレークだったかに向かうところで終わっているが、その脅威のコーナーリングはその大会で世界記録を生んでいる。彼のすごさは、重心の真下にそのまま足を置いて流すことなく加速できる点だが、それは転倒という破綻に隣接した危険な場所でもあるのだそうだ。
その加藤が、自分がスケートを始めた頃のリンクを訪ねる。そこで加藤が始めたことは、フィギュアスケート。普段着で、くるくる回り始める。少しでも、スケートをやっていたい。そういう時間を過ごしたい。そう語る。
しばらくして、BS1でトリノの宣伝をしていて、佐々木明が出てきた。アスリート然とした姿ではなく、フリーライド、パーク、テレマークもやれば、ボードにも乗る。そういうアプローチからやってきたことに自分は他にはない特徴を自負している。なるほど、彼の滑りは美しいよりも格好いい。素晴らしく調整され洗練され磨き込まれたクラシックのギターではなく、ジェフ・ベックのような自在感がある。しかし、それでは届かない世界も確かにあって、今、佐々木はその領域に挑んでいる。
午後からDEPOに行くと、スキーのコーナーにDVDがあって、hartの板を宣伝している。その宣伝している人というのは、アルペン高岡店の店長、ナショナルデモの米丘友明さんだ。実は、隣の町内の人。今日、いっしょにスキーをする予定だったのだが、ちょっとこっちの都合でキャンセルした。彼の滑りを見ていると、この町がスキーをどうやって育んでいるのかが見えるようにも思えた。技術もさることながら、スキーを楽しむことについて、とてもいいスタンスを共有してきた歴史があるように思う。技術なんて楽しむことの道具に過ぎないんだよ。そんなことを米丘さんが話しているように思えた。だから、板は、靴は、納得できるものにしておくと、そう言う部分に煩わされないで楽しめるよってことかな。
楽しむ、遊ぶについて、いくつか考えさせられた。今年も、スキーの指導をいくつかお願いされているのだが、こういうことをしっかりと考えておかないとと念を押してみるのであった。