一日中メール

わけあって明かせないが、一日中メール。すごい数。約200件。返ったメールをリストと付き合わせてまたメール。つらい。ほかの仕事にならない。いい講演会もくたびれて爆睡。質問しようかと思ったが、どうやらサクラが仕込まれていたらしいうえに、もしかしたら言及してあったかなと思って諦める。あとから聞くと、そうではなかったらしい。質問した人は、学校の先生だったが、実にしゃべりが下手。質問者に配慮したようで、恐ろしく無礼な物言い。
例えば、「先生のお話を聞いてちょっとだけわかりました」。これって、「ちょっとしかわからなかった」「ちょっとだけ同意できる」という意味だが、謙譲のつもりで不遜。ご無体である。
質問したかったのは、これからの学力にはコミュニティの独自性を含んでいかなくてはならないということなのだが、コミュニティをコミュニケーションで生じるその人のくらしの領域とでも言うと(講師はそんな使い方をしていると考えた)、こうしてネットで生じているコミット感を今後どうリアリティと整合させていくのだろう。ボクらはバーチャルでない、ネットリアリティを構築して、感覚として敷衍している。いわば、第六感でさえある。この脳や感覚の拡張感は、身体的なリアリティよりも現実世界に与える影響が大きくなっているのだ。そうした場合に、求められる学力をどのように再定義していけばいいのだろう。了解されていくコミュニティという世界が元々ずれを生じている中で、どんな教育のプロセスが可能になるのか聞いてみたかった。
しかし、所詮カリキュラム論の人なので、そういうことも含めてカリキュラムを構成するのですと分かりきった答え方をするんだろうな。某国立大学の学長です。