ボクたちには長嶋が必要なのだが

札幌での1イニング9得点以来、ジャイアンツが息を吹き返した。ベテランがぎりぎりの仕事をして、若手が勢いに乗るとチームは強い。今のジーコジャパンのように同世代でレベルを上げたときが実は脆い。そのことは、チームマネジメントの常識なのだが、ベスト4を狙うには、今の日本にはその方法しかないこともあるのだろう。
小久保が怪我で離脱するという最もきつい事態が生まれた日、ベテランにしてはどうも人々の感動を肩すかしにしていく清水にサヨナラホームランが生まれ、何とかチームの勢いを保った。自らの凡プレーを払拭したい打席でまんまとホームランを打ったわけだ。清水はこういうひとで、1番打者が多いこともあり、ノーヒッターを打破するヒットを何本も打っている。昨年の交流戦での西口から放ったホームランは、この人の感覚の鈍さを象徴している。どれだけヒットを放っても、あの守備とこのセンスでは少年の心にも、中年の哀愁にも響かない。
昨日の清水のサヨナラの布石には、イ・スンヨプの同点ホームランがあった。交流戦に入って何とか戻しつつある。セントラルの情報戦に裸にされつつあっただけに、いいタイミングで交流戦に入った。小久保がいないなかで、そのプレッシャーにどこまで耐えられるかがキーになるだろうことは大方の心配である。しかし、全体として、ジャイアンツの野球が少々おもしろいと感じている人はそう少なくないはずだ。視聴率は、前に書いたとおり、野球を見る方の力が落ちているだけにやむを得ないところがあるが、原の立ち姿は悪くない。
野球の監督がどうしてユニフォームを着ているのかという疑問に、野球は戦争のシミュラークルで、監督はいわば小隊長なのだ。ダグは右手から後方の敵を牽制しろ、ジョンはスナイパーの場所を特定しろ、ジャックは俺について敵の装備を確認するぞ、てな具合だ。ミッションを与えられた隊があって、その隊でコマンドを発するのが、監督の役割なのだ。ヤンキースのトーレを見ているとそのことがよくわかる。隊の編成をするのは、GMで、トーレは現有の戦力を使ってコマンドを発し、ミッションを遂行する。原の姿は、そのトーレに一番近い。檄もとばすし、拳もとんでいるらしい。喜ぶ姿には共に戦う表情があり、悔しいときには選手以上に悔しがっている。用兵の失敗ではなく、プレーヤーとしてうまくいかなかったことを共感している。
そうやって見ると、野村はすでに元帥の風格があり、落合は最初から厭戦気分が満喫している。牛島は理詰めでやろうと考えて、野球のダイナミズムを失っていて、中村は器が足りない。そこそこやれているボビーや岡田、ヒルマンはそうした空気を纏っていることが伺える。古田はそもそも隊長として自ら戦っている。野球はもともとプレーイングマネージャーを基本としているはずだ。
と思っていたところへ、長嶋が北京の代表監督を目指していることが報道された。こう考えると、もう長嶋ではない。しかし、ボクらは長嶋が必要だ。太陽のない世界には住めないのだ。長嶋の光明は未だに野球界を照らして止まない。さあ、そうなるとどうしたものか。
ボクがお薦めするのは、ファイターズのヘッドコーチ、白井である。彼と古田の組み合わせをけっこう期待しているんだが、どんな化学反応があるのかはわからない。