桜庭の終焉

みっともない試合であった。ぼろぼろに殴られながら、「滑る、滑る」と叫んでいたらしい。桜庭和志というカリスマが粉砕するならその矜持は保たれた。みっともなく、しがみつき、汚れ堕ちていくヒーローを見たように感じた。場内もそうであったらしく、勝利が決まってからも歓声は上がらない。彼がプロレスラーという源氏名を名乗ることに不信感をもっていたボクにも、プロレスへの恥辱のような気がして、実にいたたまれない。

ここから先は、1月4日になって書いている。
どうやら、桜庭ではなくレフェリーへの指弾となって現れているようなのだが、いよいよわからなくなってきた。秋山の足に油か何かが塗られているとアピールしていたらしい。桜庭は、「格闘技家」(そういうことばがあるとすれば、であるが)なのだな。プロレスは必ずしもイーブンでなくってもかまわない要素があるとボクは思っていて、ヘビーとか、ジュニアヘビーとかいう階級も、どうせ自己申告の曖昧なクラス分けに過ぎず、ヘビーとか、ジュニアらしい戦い方が何となくイメージとして形成されているから通用するだけなのでいっそ大相撲のわかりやすさを採用すればいい。TKO(今回は、レフェリーではなく、ゴングが先立ったようだ)という仕組みにも、フィギュアやシンクロ同様というと少し行きすぎだが、積極的な「わかりやすさ」を感じていない分だけ、レフェリーがどうのこうのと思ってもみなかったことは事実。プロレスなら、レフェリーは試合の一部で何かに荷担することも含めてプロレスだが、格闘技という興行ではイーブンでスポーツ競技的な説得力を必要とする分、公正感は必須の要素なのか。
プロレス的には、遺恨再試合だが、ああいう格闘技の場合どうなんだろう。そんな喧嘩みたいなことをやるのかやらないのか。そこんところも、総合格闘技的なドラマをよく知らないのがボクであると、思っている。