母親の頭部を抱えて

一体、どんな動機があってそんなことができるのか。少なくとも人を殺そうというには存在を賭けた戦いを超えなくてはならないと思っているボク自身が臆病なのかとも思える。
案の定、進学校の中の上である。そのレベルをいわば「学力の浮遊層」とでも呼びたい。曖昧な期待と不安の海を、逆にその浮遊感を利用して泳ぎ切ってしまう連中もあれば、浮遊感に堪えられずにインパクトを自らに作り出そうとする場合もある。それが光と影のどちらに振れるかで、絶対値は変わらない。影に振ったものを犯罪として、社会悪として切り捨て、断罪してしまおうとする感覚が、また世間を覆うのだろう。それが最もやりきれない。
教育最低会議、いや、教育再生会議はこれまでの議論の単純さから考えると、これが学力向上のひずみであると断じて、今こそ「心の教育」を、さればこそ子どもの身になる体験を、と叫ぶべきなのだが、教育を疲弊し、萎縮したものというバイアスで出来上がっている稚拙集団は、これも先生が悪い、学校が悪いといよいよ勢いづくに違いない。