[町歩き]下宿

25年前に住んでいた下宿。ほぼそのまま。息子のことを思った。会いたいと思ったが、親の身勝手な感傷だ。ボクと同じように何とかやっているのだろう。
この下宿では部屋を代わったのだが、最初にいた部屋では、彼女以外で女性と2人きりになったことが一度だけあった。
大学2年のことだ。大学祭で焼鳥屋をやることにした。これがなかなか大雑把なやりかたで、焼き台はグラウンドの端から外してきたU字溝。それに大学のフェンスを切り取った網をのせた。肉は秀館から買ったのだが、安く上げるため丸ごともらって自分たちで切り裁いた。レバーはいつも食べているものが何だろうと思うくらいに大きく巨大で、胃袋よりもでかいようにさえ思えた。この肝臓を焼き鶏用に切るのは、ボクの部屋になった。北向きのまったく日の射し込まない部屋が最もその舞台にふさわしいということだ。
同じクラスは、男10人、女50人といういびつな構造で、女子にも協力を呼びかけていた。何人かが来てくれて協力してくれたのだが、たいていはみんなで誘い合ってやってきて、下宿で肉を切り、串を刺しながらの合コン状態であった。午前中の波が引いて、一人で作業していると開けっ放しのドアの向こうに女の子がやってきた。Hさんである。
Hさんは、この地域随一の進学校出身で、音楽を専攻する才色兼備の女性であった。それゆえ、誰もが高嶺の花と思い、また、その容貌に似合わずさっぱりした性格がむしろ男を遠ざけてしまっていたかもしれない。その彼女がやってきて、お手伝いにきましたと告げた。
部屋にはボク一人である。どきまぎしたが、1時間くらいしかお手伝いできないという彼女に、1時間もと、これまたどきどきしていた。
彼女は何事もなかったようにレバーをひとかたまり切り裁いて、また、笑顔を振りまいて帰っていった。何の話をしたのだろう。のちのち、Hさん事件として仲間から糾弾されるのだが、その折りにもよく記憶していないことからあらぬ疑いを増幅させる結果となった。
妙に光の眩しい昭和57年5月29日である。
その彼女に、仕事関係の研修会で出会った。こっちは何とか管理職、向こうは指導的立場である。講演会で質問をしたボクに、どうやら気が付いたらしい。元気ですかと答えるボクに、いつかの何かのコメントを感謝してくれていた。憶えていてくれたんだな。
細かくは言わなかったけれど、そのことだけは妻にもちょっとだけ話しておいた。隠しておくわけではないが、言わないことが不実に思えたのだ。
この町でも、ボクは育てられた。