[町歩き]むざんやな

小松2日目。
芭蕉が訪ねた多太神社へ。寡聞にして、実盛にまつらう話を知らず。

むざんやな甲のしたのきりぎりす

甲は実盛のものであった。
正直なところ、この句を知っているのは、横溝正史の「獄門島」ゆえであって、その出自を知っていたわけではない。どうやら、まず、悲運の老将実盛の「むざん」な最期があって、幼少の頃、実盛に命を助けられた木曾義仲が多太神社にその兜を奉納した故事があり、小松殿と呼ばれていた名君としての実盛にちなんでこの土地を小松と呼び、それを歌枕に芭蕉が、

しおらしき名や小松吹く萩すすき

と詠んだ。しおらしき名は実盛に寄せる思いであって、さらに、兜に寄せて多太神社に句を奉納したとのことらしい。
奉納された句には曽良のものもあったのだが、どこで曽良と別れたのだったかなと、改めて奥の細道を読んでみようと思う。
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あ、おかしいな。前の日には、重盛と書いてるな。どっちだろう。重盛が小松殿か。