Mr.Children、in the field「HOME」

チケットが浮いたので、彼女といっしょにミスチルのコンサートに行くことに。実は、ジャズ以外のライブはほとんど行ったことがない。しかも、20代、30代、そろそろ40代にかかった人たちに絶大な人気のあるミスチル。どんなステージになるのかと興味もある。
それでもスタジアムライブなので、とにかく会場までの取り付きが大変。結局、ずいぶん遠くから歩いてアプローチして、開宴3時間前には会場周辺にいた。*1Jリーグ以来だな、この人だかりは。グッズも便所もエントリーもものすごい人の数。おじさん、おばさんもいるが、Jと違っておじいさん、おばあさんはいない。
会場が開いているので、とっとと入って待つことにする。ステージがすごい。ここまでのものを見たことがない。幅はサッカーのピッチに匹敵するので、50m。高さもスタジアムの外から見えるほど。ボクが仕掛けたあるイベントでも数千人くらいは集めたが、あのステージの金額から類推するととんでもない金額。実は、それすらも過小評価ではないのかと後から思い知る。両サイドの2枚のスクリーンには「HOME」のCGがゆっくりと展開し続けている。このCGは有名な人が作っているらしい。
アリーナには芝生の上に置かれたパレットにぎっしりと椅子が並び、ボクは少しずつ埋まっていく座席を見つめて、そのまま昼寝をすることに。まだ、風は熱く、傾き始めた太陽が時折容赦なく右側を焼き付ける。開宴は5時。夕暮れを挟むという演出に加えて、必ず雨が来る。古いデルタブルースがずっと流れている。
5時を少し過ぎた。いよいよである。観客一斉に総立ち。いつか座るのかなと思っていたら、みんなそのまま。そうか、このまま3時間かと、おじさんとおばさんも諦めて立った。カリスマ桜井の姿が見える。ほほう、オーラがあるなあ。存在が際だって見える。
コンサートは圧巻である。ノンストップで展開する楽曲の数々はすでに彼らがリリースしたもののうちでもとてもよく知られているものばかりで、それらを巧みに構成し、フィールドライブに合わせた編曲や映像や光を精巧に組み合わせて提供している。映像が曲を食ったり、逆に、映像がうざったく感じるライブもあるが、ここでは高度なシナジーを生んでいる。悔しいが、ジャズ以外のライブで初めて涙があふれた。
東の空に虹が大きくかかった。暮れゆく富山の空に大きく、細く、ときどき、二重にかかる。やがて、夕闇がスタジアムを包み始める。会場の照明がそのときどきの風景に馴染みながら変化していく。雨が落ちてきた。やがて、少し激しく。曲も映像も少し激しく変化し始める。ステージ一面が音に反応して幾重にも変化していく。雨まで演出かと思わせるほどの驟雨。雨具にたたきつける雨の圧力が激しい。口を目一杯に広げて歌い続ける桜井の高音が時として激しくハウリング*2し、まるで雷鳴にも思える。
雨が小降りになってライブも週末に近づく。古くさいロボットが灯火を抱えたCGが何部作かになっていて、ストーリーの終盤とともにライブもひとつの括りを終えていく。何という巧みな演出なんだろう。灯火は花に転じていくが、やがて、ロボットが大きな何かにふれて、このストーリーは完結しないまま終わっている。さらに、この地上で起きている、あるいは、起きていたさまざまな出来事をフラッシュバックのように展開する映像が曲の中に流れている。*3ここにミスチルのメッセージを読みとろうと、ボクはまたぞろ批評家の顔になっていた。しかし、それは、このミスチルに心を寄せる息子たちへのアプローチでもあった。
途中、「イマジン」が流れた。さいたまアリーナのレノン追悼コンサートで歌ったことがあったはずだ。歌詞も出ていたが、この頃は教科書にもあるので、中高生は平気で歌う。ボクもいっしょに歌った。
考え込んだ。スクリーンに「世界はいつ始まった。世界はいつ終わった」とテロップが流れていった。それには簡単に応えられる。世界はボクらが想像したときに始まった。そして、想像し続ける限りいつまでも終わらない。しかし、ボクだけの想像ではなく、それは、多くの人々の想像によって世界がある。そこで、ミスチルの愛を見付けた。
多くの音楽は愛を歌う。ミスチルもそうなんだ。しかし、どうも少し違うと思えていた。彼らの愛は、いわゆる愛憎のようなエゴイスティックで剥き出しのものではない。同様に、博愛という性質のものではなく、ボクと君の間に生まれるような性質のものに感じていた。しかし、ボクには桜井の声がなかなか捉え切れていない。今日のライブで生のメッセージを受け取って初めて理解できた。彼らの愛は「つながり」なのだ。誰かと誰か、何かと誰か、何かと何かがつながりあって、そのつながりをもとにボクらの世界は成り立っている。つながっているのだという想像力を欠いたとき、世界は孤立し、世界の広がりを失う。ミスチルの問いかけと息子たちのアプローチとして、仮の答えをそのように置いておこう。案外、レノンそのままか。
コンサートは続く、星が瞬き始めた。遠くで雷雲が光る。世界まで味方にしたか。不覚にも、と書くとファンには失礼かもしれないが、3度ほど泣きそうになった。何かわからないのだが大きなものに突き動かされている自分を感じた。遠く離れて暮らす長男がボクのそばでやっと気付いたねと優しく笑ったように思えた。ああ、やっとだ。まだ、十分ではないけれど。
アンコールは付け足しだが、「イノセントワールド」の盛り上がり方は尋常じゃなかった。愛にもカタルシスは必要だ。燃え尽きるわけでもなく、ボクらの心と体に灯火を残してライブは終わった。
ああ、ホントに3時間立ちっぱなしだったなあ。緩むことなく、切れることなく、わき上がる意志を見せてもらった。*4
帰りにシャトルバスがどんどん走っていったが、あんなおびただしい量のバスを見たのは初めてだ。
やがて、再び激しい雨が降ってきた。ボクと彼女はスキップでもするように、1時間近くかかった道を30分で帰ってきた。

*1:後から近所の人に聞いたが、ほぼ同じ時刻に出て、10分前入りだったそうだ。ボクらは小1時間ほど散歩して、施設見学して、それでも開演2時間近く前だった。

*2:こういう場所の音響はとても難しい。みんな普通に聞いているけれど、ほぼ同時に聞こえるような錯覚も技術のひとつだ。

*3:オウムやグリコ森永まであった。ああいうのはちゃんと許可を取るんだろうなあ。

*4:野球やサッカーの応援がどんなにすごい声量かわかった。たぶん、それよりもたくさんの人がいるはずなのに、阪神戦の音量は並みじゃない。それは、むしろ、大きな声を出すことが盛り上がるわけでなく、心とからだの振幅で測る必要を教えてくれた。