岩瀬

息子の野球観戦に行ってみたらもう終わっていた。コールドが2試合続いたそうだ。先頭打者で出塁するがどうやらそこまでだったらしい。
このまま帰るのもどうかと思い、岩瀬まで行ってみることにした。よい町作りがされているとのことだが、まだ、歩いたことがない。
とりあえず、カナル会館を目指す。
岩瀬は海に臨した町で、江戸時代には北前船などの回船貿易でにぎわった。中でも神通川の河口部の運河に面した東岩瀬の界隈は、回船問屋の並ぶ通りがあり、今もその面影を残している。富山ライトレールの開通で、その終点となる岩瀬は時ならぬ復権で賑わいを見せている。
カナル会館は特にどうということのない運河の脇に立つ建物。岩瀬の町歩きマップでももらおうと入るが、ものを売っている以外には何もない。看板もあるのに、手に持って歩く地図すらない。何だろう、こういう観光って。地方はどこに行ってもろくに案内もしないでものだけ売ろうとする。また、それで満足する客層もあるのだろう。自転車の無料貸し出しもあるのだが、自転車が必要なレベルなのかどうかの判断もできない。仕方なく適当に歩き出す。
運河を渡ると町中に入るが、通りの広さが印象的だ。どうやら荷物を運ぶに都合よくしたものらしい。家々は間口が狭く、分限者らしい家が立派な門前を広げている。偶然、回船問屋の通りに出た。新しい家も昔ながらのスタイルで造られていて、古びた町並みではなく、生きている町並みを感じさせる。町づくりの協議会のようなものがあってその人たちがけっこう浸透に努力していると何かで聞いたことがある。御茶屋さんとか、昆布やさんとかあるのだが、何かすっと入りにくい感じはなんだろう。それでも、家々の造りは十分ボクの興味を満たす。おいしいコーヒーでも飲もうと思っているのだが、見当たらない。
やがて、大きな家の前に来た。馬場とある。馬場はる(小沢はる)の婚家である。この人が私財を使って富山大学が生まれた。また、ボクの町の出身者でもあり、その姿は細川嘉六同様、いつもボクの町の遺伝子に宿っていると思っている。
隣は森家。回船問屋の面影を今に残して公開している。100円の入場料を払って中へ入る。当主らしいおじさんの解説の声が響く。
町屋造りに懐かしさを感じるのは、ボクの生家がそうだったからで、どこを取っても見慣れた風景である。奥に続く三和土。台所、蔵。中庭。構成のひとつひとつが懐かしいものなのだが、グレードが違う。よく見ると三和土ではなく、一枚岩。蔵には鏝絵の装飾。中庭の飛び石も上等なものが質素に置いてある。どれだけの人たちがこの家で動き、出入りしていたのだろう。実は知りたいのはそういう部分である。よく見えない。高山ではこういう家でそのまま宿泊させてくれるところもある様子。若い頃はそうも思わなかったが、今ならいいかなと思いついた。
森家を出てすぐにミセと呼ばれる間口にYZRレーサーレプリカの置かれたお店。何だろうと思ったらそば屋である。よいそばだと評判の店。今日は閉店で、なるべく予約してきてくれと書かれている。観光事情がそうさせるのだろうが、そんなそば屋は困ったもので、それはそば屋自身が痛感していると思う。
しばらくで町並みは途絶えるが、町並みの終わりがけに喫茶店。入ると、懐かしいサイフォンコーヒー。丁寧な点て方。豆がいいともっとおいしいはずなのだが。
東岩瀬の駅まで出て、ライトレールに乗って帰る。15分に1本走っている。こういう乗り物が生活に密着して町を作っていく新しいランドスケープに期待を寄せる。富山競輪場はそこそこいっぱいだった。ギャンブルではなくレースとしてのおもしろみでもう少し市民権を得てもいいはずなんだけれど。
終点は、岩瀬浜駅。こっちの方が馴染みだったが、実は岩瀬の町はその手前に広がっていたんだな。知らないこと、わからないことの裏返しにおもしろいことが転がっているものだ。
ちょっとしたマップでも欲しい、そんな町歩きだった。ライトレールに小さい子がたくさん乗っていた。うちの子たちもそうやって愉しませていたな。ボクは今でも新しい乗り物に乗りたがるが、生活臭のないジェットコースターなどは嫌いである。