[町歩き]大聖寺

大聖寺は、加賀藩の分藩である。加賀藩のうち、富山藩とともに支藩となったが、最初は、越中の新川郡の一部も所領になっていたというのは驚く。どんな経緯があったのかは、このあと調べることにして、何よりも深田久弥の出身地であることが当面最も興味がある。
数年前、ここに山の文化館というのができた。古い木造2階建ての織物工場を使って、久也の生誕地のすぐ近くにゆかりの品々を展示したということだ。
大聖寺実業高校から山沿いの道を歩く。山下と呼ばれるこの界隈には、お寺が多く、大聖寺藩の菩提寺芭蕉が当泊したという寺などが並ぶ。熊坂川という熊坂長範ゆかりと思われる川沿いには藩政時代には下屋敷が並んでいたという。今も、往時の面影のある道路と、しっとりとした木造の家屋が並んでいる。新しい家ももちろんあるのだが、いずれも町に風情を残したままで今の住まいとして在る。これは、心が受け継がれている証拠だろう。その意味では、ボクの町は最近いけない。めいめいが勝手に土地の性分をわきまえずに家を造作している。きっと、ここは好い町なのだと感じる。
用水沿いに公園がある。市立図書館や九谷焼博物館などが隣接するが、この公園がまたいい。水の巡りを考え、それに加えて、古九谷の雰囲気を漂わせている。いくつかある東屋には豪華ではないが、よく整備された腰掛けや机があり、そこでご近所の人たちがお昼を食べておられる。好い風が吹く。柔らかくなっていく心。ずっと座っていられる優しさ。うらやましい。

しばらく歩くと、やがて北国街道。奇妙なことに辻辻の家は角を落としている。何かのルールがあるのだろう。ちょうど面取りしたような感じなのだ。新しい家も、古い家もそうなっている。

深田久弥の生誕地という印刷屋さんの先の川を越えると、文化館。
この川の少し下流には、小堀遠州が設計したといわれる長流亭があるそうだが、足を伸ばす時間がなかった。川には舟が浮かべられ、この町の風情を味わえるようになっている。乗ってみようと思ったが、1000円。ちょっと高いかな。
川を渡ると、そこが山の文化館。大きな楠と銀杏が見える。
木造の佇まいは、ちょうど宮沢賢治でも住んでいそうな気配。よく整備され、そこかしこに手が良く入っている。深田久弥の展示自体はそう多くのものがない。大体、作家などはそんなものだろう。
展示閲覧できる生原稿には、「祖母谷温泉にて」があった。黒部川上流の温泉である。おもしろそうなので読んでみる。生原稿はおもしろい。作家が最初にどんなことばを使い、それをどういじったかがわかる。部分ではなく全体に連動して修正しているのだ。そこには、この作家の表情が見える。祖母谷から今の黒部峡谷鉄道を使って宇奈月温泉に入り、そこで1泊するのだが、そこまでの山の3泊と同じ料金だったとくくられている。案外、このあたりが山と何かをつなぐものなのだろう。
廊下には百名山の写真や俳句などが並んでいる。たくさんの百名山ファンがやってくるのだろうなあ。だけど、どれも多くの興味を感じない。深田に寄せるファンレターのようなもので、それを垣間見てもボクの何かが移ろう様子もない。
隣には、喫茶店があって、巨木を巧みに設えたテラスは五月晴れの光をゆっくり集めて心地よい。カレーの香りがしてきたので、何か食べられるのかと思ったら、この会館を維持する仲間たちのミーティングであった。カレーの香りがぷんぷんして、妙に食欲をそそるので、今度は山の図書館のようになっている一室に入る。ここから抜けられなくなった。手に取りたい、一度は見たいと思っていた本がずらりと並んでいる。山にゆかり、深田にゆかりのある本を集めているらしい。寄贈もある。知っている人の名前もいくつか見かける。つい時間を食ってしまう。書斎っていいなあ。あとで気付いたが、辻まことの本が1冊もなかった。ウラヤマと百名山はやはり折り合わぬものらしい。
カレーの香りの山の文化館をあとにする。百名山サロン。そんな感じだな。
腹が減ったがここまでの行程で食事ができる場所はない。図書館近くのスーパーに入っておにぎりと焼きそばを買う。おにぎりの具は鯖へしこにした。癖もあるが、けっこうきらいではない。公園でゆっくりと食べる。
大聖寺実業に戻ると息子がグラウンド向こうの土手に乗せる大きいのを2本打ったと聞く。そんなものだな。
いい町だ。また、ゆっくりと歩いてみたい。今度は、城跡と長流亭だな。