10年くらい前か

昨日、今日とおまつりで縁日の夜店が出ている。昔に比べるとずいぶん屋台も少なくなったし、今日でも9時を過ぎるともう店じまいで、寂しい限りだが、考えてみると、ああした職業の後継者不足はまったく構造的なもので、われもわれもとその職業を目指すものでも、大きな野望を抱けるようなものでもないだけに、じり貧は当たり前だ。臆面もなく、寂しくなったなどという人はおよそ論理性を欠いている。
とはいえ、寂しい。まるで、その町の趨勢を示しているような気がするからだ。それとて、さまざまななわばりの加減でもあるのだが。
子どもたちが小さい頃はいっしょに歩くのが楽しみで、ちょうど10年くらい前になるか、体調があまり良くなかったころ、お祭りのおみやげをたくさん抱えて自宅で広げ、家族一緒に布団に入ったとき、遊び疲れてあっという間に眠ってしまった子どもたちを見つめながら無性に涙が止まらなかった。来年もまた子どもたちとこの日を迎えられたら、とつぶやいた。
おまつりとはそうしたものだ。1年の息災を感謝し、次の1年のさいわいを祈る。
夜店が少なくなったくらいで、その心情を失うことの方がいくらも情けない。
子どもたちはもうついてこない。取り立てて今は関心がないらしい。それでもいいだろう。
ビールを買って、歩きながら飲んだ。家にいると1缶やっとなのにたちまちに飲み干す。基本的にビールは外で飲むものなのだ。昨日の買い食いといい、飲み歩きといい、ちょっとしたボーナスのご褒美だ。
だけど、このまつり、ちゃんとあるお宮の祭礼なのだが、ボクはさっぱりお宮の方は行ったこともなく、お化け屋敷にご参詣していた。そのうえ、楽しみはお化け屋敷の中身ではなく、口上である。組み上げも撤収も好きだった。化け物小屋もそうだった。親の因果が子に報った人が案外普通に近くの銭湯から出てきたりするのも世の中を教えてもらったように思えて、今になると、貴重であった。
また、来年。