頼まれ委員と公共

ある協議会に参加。
電車で行こうと思ったら、休日用の時刻表を見ていたらしく、ずいぶん待たされる。ついでに一駅分歩く。目的地を少し手前にしてしまうと最低料金で行けることがわかり、どしどし歩く。夜道を歩くのもいいものだ。
会議は長引いた。
公共施設の運営に関する会議なのだが、ある委員が、民間の会議ならとっくに終わっていると発現。聞き捨てならない。元役人としては、そういう種類のことばが一番気に入らない。一方で、税金を使っているという自覚があるのかとののしる。公的な財産を取り扱う限りは、議論は最低必要である。それを無駄と言い切れば、もはや、公共ではない。どこかに意思決定を委ねるのは独裁であるとボクは思っている。
そこでのややこしい議論にちょっとそぐわない発言をしたので、議決からは退いた。
実は、伏線がある。
自分が管理している施設の利用について、マナーのレベルなのだが、いくつかの問題があった。公共とは何だろうと考え込み、いくばくかの嘆きをもっていたのである。
民間並みと言う身勝手。民間で請け負えない不採算部門を、みんながその負担を分かち合う形で何とか切り盛りして不平等から遠ざかろうとしているのだ。民間の発想なら、看過できる。公共はそうはいかない。退ける場所など最初からない。
公共という覚悟である。なかなかわかってもらえないが。