ゴジラくんへ

僕らはたくさんのプレーを見せてもらった。
納得できるまでやったらいいと思う。
ぼろぼろで、メンツがどうのこうのいう人がいる。
それは、そういう人も奇妙なメンツにこだわった人だ。
それでも、現役としてワールドカップに言及するカズや、それでも、ゴールに向かって走りこむゴン、どこまでも飛び続けようとする船木を見ていてそう思う。病を得て、怪我を抱えてなおかつ動かない体でプロレスラーでしか、自分の生き方が示せない小橋。動ける限り動き続ける。
王貞治の打撃ができなくなったとバットを置いた選手の時代とは違う。切り開いた地平の先を見極めるのは、自分しかいないのだ。また、ライパチくんから始めようという彼。もう一度打席どころか、背番号を夢見る君でもいい。
金メダルに浮かれよう、盛り上がろうとしているちょうどこの時期に、アスリートの厳しい現実を見せられながら、何を代表するでもなく、ただその場所にしがみつき、あがき、もがく、諦めの悪ささえ、今やアスリートの当たり前の姿として受け入れられる。
すべてが自分たちの高揚感のためのネタとして消費される陳腐で短絡的な空気にあって、ただ、一心に居場所を求め続ける姿は、歓声なき称揚として憧れる。
そう思う僕も、もしかすると、その黄昏に染まっているのかもしれない。