朝日中学校学校登山

朝日岳への学校登山を行うことで大変な高評価を得ていた朝日中学校が、今年の登山を白馬岳に変更した。以前も、白馬岳だったのだが、大雪渓は集団登山の場合、どうしても落石の危険を回避することができないことから、朝日岳に切り替えていたのだ。
行程とすると取り付きの標高の低い朝日岳の方が山としては深い。また、俗化されていない雲上の楽園に学校登山で登るというのは大変なことだ。それに見合うだけのサポーターがあり、ちゃんと登山を成立させた地元の協力者の力量には頭が下がる。
富山県議会でも何回かそういう方面の質問が出ていて、その際にはいつも引き合いに出されるほどの評価を得ていた。
しかし、今年は、大雪渓を避けて蓮華温泉から大池経由で白馬岳を目指すことになった。
懸念はいくつかある。
かつて小川中学校は同等のルートを2泊3日で実施していた。それを1泊2日にする。1日目の行程は、登山初日であるにも関わらずかなり長くなるうえ、蓮華温泉までのアプローチにも当然時間が取られる。行動時間の長さは、中学生とは言え、多少気になる。
同様に行程が長いと言うことは、集団が長く伸びることでもある。休憩を十分に取るための配慮も難しい面が多くなるだろう。
登り切れない子どもは大池であきらめるそうである。
そうまでして朝日町最高所の白馬を目指そうという気があるなら、また、その気概も理解できる。
しかし、白馬にすることにしたという教師の説明は「朝日岳では登山をした気がしない」というものであったそうだ。全く噴飯物である。朝日岳のような味わいの深い山を間近にもっていることを誇りこそすれ山として一等低いかのような言い方をする。結局、教師なんて権威主義なのか。100名山に300名山は及ばないとでもいうのか。
これまで積極的に協力してきた人たちに聞いてもらいたい。もし、このことばが事実だとすれば、ボクはそんな認識しかない学校の教師に自分の子どもの山行きを任せることはできない。ボク自身が山の時間をしっかりと体験させるから、学校は余計なことをするなと言いたい。
結局、山嫌いを作っているのは学校というばかりでなく、山嫌いはむしろ教師なのだろう。自らが価値を認めないものを子どもたちに伝えることはできない。欺瞞であり、教育への冒涜だ。
そのことばが事実ではないことを祈る。そして、雨であっさりと、去年みたいに簡単に中止にならないことを願う。
学校の信用とは、教師への信頼とは、案外、こうしたことで試されるのだろう。