五十嵐亮太

実は、先週神宮で野球を見てきた。
1点を争う展開になったので、五十嵐が出てきた。逆だったら佐々木だっただろう。五十嵐は球場の空気を変える。例の「メジャー・リーグ」でチャーリー・シーンが登板するシーンで流れる「ワイルド・シング」を背景に、ゆっくりゆっくりマウンドに向かう五十嵐と呼応するように、球場の空気が張りつめて、しかも、華やかになっていく。そして、150キロメートルのストレート。
プロ野球はそういう人たちの場所だ。ここで、五十嵐が打たれてもかまわない。打った人はさらなる超人なのだ。
そういう人たちが「勝ち」を目指すオリンピック日本代表。
どうしてその期間にペナントレースを止められないのか。そんなことをしているから、人気球団に寄生する体質になるのだ。レベルの高いプレイが人を魅了するのだ。奇しくも、長嶋は「アスリート」ということばをコメントに使った。そのことばを使える人は、おそらく球界に長嶋をおいてあるまい。その意味で、長嶋がカリスマであり続ける理由がある。
気付いている人は、そう多くはあるまい。