天動説

「太陽や星が回っている」というのを天動説としてはいけないと朝日新聞に天体観測などの実践がある先生が投稿していた。わかりやすかった。太陽や星の動きを見たことがあるから、そんな風にいうわけで、それは実は自分が回っているのです、などとは、まるで酔っぱらいに説教するものではないか。まず、起きていることを認識すること。そして、それがどういう根拠で成り立っているのかを考えること。拙速で、安直な判断が教育を覆っているのかと思う。
 先日、ある人が「日本のプロ野球が衰退した」などというものだから、ついそうじゃないだろうと反抗した。松井が日本プロ野球の出身者でなくても、あんなに見るのか。松井やイチローのいないメジャーリーグベースボールにそれほど興味があるのか。報道を見ればわかる。松井○打数○安打。結局、それか。それが野球の見方なのだ。どうしてそんなことになったのか。
 簡単だ。ニュースでそうやって報道するだけで、みんな3時間を超えるようなコンテンツに興味をつなげないのだ。クリップのように、そして、あいさつのように、○打数○安打が流通している。肉体のリアリティを欠いた野球、そういうものを見ている。見えているものはリアルだが、そこには空虚な想像力を欠如した現実しかない。バーチャルリアリティとはいわば、想像力によって生み出される現実であるのが、むしろ、皮肉。
 第7戦にどんなリアリティが見えるのか。楽しみである。天動説という理論としての定式でのくくりではない。実際に、ボールが100マイル近くで動くリアリティに心を寄せることがどんなに幸せかを知ろう。