同僚に

昨日の本のことを同僚に話した。
いいよね、本の話をして喜ぶのは。
辻まことの話をするのが一番好きだけど。
ことばが先鋭化していたもので、ある原稿を1時間ほどで一気に直した。そんな気分になれるものだ。本は何かのために読むものではないが、ことばの世界を刺激するにはもってこいだ。
「本丸サンの話を聞いてこの本を思い出した」と紹介してくれる人がある。国語のセンセだ。残念ながらその本を読んでしゃべっているわけでもないし、それなら自分のことばでその本とボクのことばのつながりを示して欲しい。
きっと本読みだが、批評ができないタイプ。感想文は得意だろうな。それはある種の幇間芸だぞ。幇間芸としても、少しレベルの低いストレートなものだけど。
っていつも、国語の先生の悪口を書いているが、あまり反響もないところをみると、あっているのかな。国語の授業ほど退屈なものはなかったぞ。新出語を調べて、段落ごとにまとめたり、線を引いたりして、「行間を読む」とかいって根拠もくそもないことを話して、感想文を書いてまとめ。おもしろいわけがない。読めば読むほど作品の魅力が失われる国語の授業なんて、そんなの過去の遺物だと思っていたら、まだやっている。国語の先生が(笑)かと思えば、作品解説みたいのもあって。
ここでは、書かないけど、昨日、香山リカ読んで、何でセカチューや「世界で一つだけの花」があんなにもてはやされるのかわかった気になった。あれも、えっと、ほら、ペ様のえーと、冬のオペラ。あれもわかった。わかりやすさかと思ったが、別のシンパシーがあるらしい。
「自分だけは特別な存在で、愛されたい」願望とでもいうのかな、そういうものが自己を支えている人ってあるんだ。以前から考えていた「やっぱりー」っていうコメントはどこかおかしいと思っていたものを香山リカはちゃんとことばにしている。(おかしいって言うだけじゃことばじゃないもの。)
雰囲気、空気、そういうものを少し敏感に考えたい。山本七平を基準にしておくといいかな。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

今でもちゃんと出ているんだな。
酸素とかの組成だと思った人は、残念。