息子たちの練習試合

打って投げて受けて、そんなものだけでは野球にならない。
ヒットだの、相手のエラーだので点数を入れているだけのそんな野球が積み重なって、結局あんなにつまらないプロ野球になる。
次の塁に進むという殺気が野球の本質だと思う。
今の子どもはヒットを打つことを考えているが、本塁を陥れる凄味を感じていないのかも知れないと感じた。野球がそうしたスポーツであることは、松井秀喜が教えてくれている。
知っている人も多いと思うが、日本にいたときから松井秀喜のすごさは出塁の多さもさることながら、得点の多さなのだ。イチローが今年、200何十本の安打を放って得点がわずかに80点。これがまさしくマリナーズの現状だったのだが、つまりは残りが残塁
一方松井はビッグチームでやっているということもあるのだが、100得点を達成した。得点は次打者の問題のように思われがちだが、勝ち負けという局面で見ると、これがもっともチームを勝利に近づけるポイントなのだ。ジャイアンツ時代には、100打点、100得点を何度か達成し、さらに100四死球を選んでいる。安打とヒット・バイ・ピッチを合わせると、イチローのそれに匹敵するのだ。彼らの違いは方法論の違いであって、結果がでていないイチローがかえって哀れになる。前人未踏の200得点も有り得るのに。いや、せめて、試合数と得点が同じになるだけでもすごいこと。
実は、うちの息子たち、たいていそのチームの得点王である。これはもっと自慢していい。
松井の得点にこだわる仕種はホームインの姿勢に現れていて、昨年の吠えるゴジラもそうだったが、クロスプレーでなくても必ず滑り込んでいる。彼は野球とはどんなスポーツかを、そう語らないが、実はより深い部分で表現しているプレーヤーなのだ。
ボクはそういうリスペクトを持っている。それはとりもなおさず、息子たちへのリスペクトでもある。