習熟度別学級

朝日新聞でも取り上げていた。
学校って塾じゃないので、個別にどこまで対応できるのか、なんてことは学校の論調ではないとボクはずっと思っている。多様性こそが共同社会としての学校のまず譲れない性格で、習熟度別学級にすることで学力というか、ある種の試験に対応する能力を向上させるとしても、何かを失うことになりかねない。何かとは、ボルノウが「教室を支えるもの」と呼び、ボクが「エロス」と読んだものだが、そのことに自覚的になって導入した完全学校週5日制と総合的な学習の時間であったはずなのに、まったく、その問題意識のない世論形成と、中学校、高等学校の現場意識(彼らの教員養成の過程には、「教室を支えるもの」につながる発想や想像力など皆無である。彼らには知識はパッケージであり、普遍のものである。それがそもそもの誤謬である)にうろたえる教育行政に、ボクは大きな不満を持っている。
id:bakkenさんが佐藤学のことを引き合いに出して書いていた。習熟度別学級に「問題がある」というよりも以前に、何の問題から習熟度別学習があって、それはどんな戦略で克服を求めているのかを明らかにする必要がある。
それは、サッカーは得点するスポーツであるからと何よりもシュート練習が大切と、まず、そのことを問題にしてしまうほどの単純さである。ディフェンダーにさえボールを持ったらまずゴールをねらえと教えているような稚拙さで、幼児でさえやらない。
そのような議論だと、ボクは思ってしまう。