ある原稿で

ある原稿を書いていたら、いろんな人がつながり出す。
田部重治のことを調べていたら、彼が宇治長次郎をよくガイドに使っていることがわかり、どうやらそのつながりで冠松次郎と長次郎のつながりがあった様子なのだ。仙人谷までを最初に遡行したのは、田部の盟友木暮理太郎でその際のガイドは、宇治長次郎と音沢の伝説のガイド佐々木助七である。その後、冠松次郎と長次郎が、平の小屋まで、黒部の核心部を完全遡行する。冠松次郎を黒部に誘ったのが、塚本繁松で、塚本と友だちだったのが(このへんはずいぶんと落ちてくるが)ダイナミック山岳会の小川弥一や馬鬣倶楽部の本村本松であった。