辛坊キャスター

寝屋川の事件に関して、辛坊キャスターは、学力低下が背景にあると言う。つまり、学校での達成感がないとでもいうのだろう。可能性の塊である子どもをどう伸ばすか、可能性の最大の部分まで引き出してやるのかが学校の、教育の役割だという言い方をしていた。
それもひとつの立場であろう。
今や、学校に期待しない。金のあるものは塾に入れられるが、そうでないものは学校の期待できない教育に甘んじるしかない。そんな言い方を以前にもしていて、同時に、自分の子どもたちは公立学校だと言っている。
富山県には、現在も、私立中学校がなく、また、高校も進学校はすべて公立学校である。あたかも、都市部に突出して起きていることを、全体の事実であるように述べている。
ボクにはルサンチマンに満ちあふれた言い方に聞こえる。
そうした子どもたちの事件が繰り返しておきたことが、現在の「ゆとり教育」の推進につながったのではないのか。そのことをすっかり忘れたマスコミが目の前にあるものだけに言及し、向かおうとするべきベクトルに無批判になっている。それは「そのへんにいる人を刺した」行為とどのくらい違うのだろうか。