ある場所で

子どもたちの節目に区切りをつけて飲もうか、なんてことはよくある。
ボクも子どもたちの野球関係の保護者会の役員を2つやっていて、試合があるとすぐに反省会などとして、某所に集まる。行かないと、何だか付き合いの悪い奴だということになってしまうのだが、その日の試合の様子を評価するのはむしろ子ども自身であって、それを分かち合ってあげれる最初の人物が他ならぬその試合を見ていた人なのだ。コメントをするとかどうとかではなく、とにかく子どもの表情に向き合うこと。どこかで監督の悪口を言いながら勝ちたいの憂さを晴らして、勝ったと溜飲下げている場合ではないのだ。
とあるブログで少し、卒業式にからんで、よく似たことが話題になっていた。
昔、学校の仕事をしていたときに、卒業式のあとはさっさと休みを取った。釣りに行きたいのである。多くの人は、教え子を巣立たせた感傷でそうやって川縁に立っているのだと考えていたようだが、いや、全然。釣りをしたいのである。3月の20日頃はこれがもう川の具合もよくって、日中の釣りは素晴らしくよいのだ。ましてや、学校にいてもいなくてもいいので、こんな気楽なことはない。フジテレビの取材もそんなときだった。
だけど、そこで子どもたちとあって、いろんな話をしみじみとすることはあった。ボクがしみじみするよりも、子どものしみじみに付き合ってあげるのだ。彼がしみじみしているようならしみじみと。彼女がわくわくしているようならわくわくと。
ボクはどうも少しあっさりしすぎているらしい。どうも卒業程度はあまり重大に思えない。いわんや、「別れ」などとはとんでもない。明日もまたそれぞれの明日があるのだ。これまでもそうであって、これからもそうであるように。そう思っているせいか、結婚式などに呼ばれることもない。結婚しようがすまいが、今日が明日も今日になる。彼らが彼らの人生を生きればいいし、何かあれば、ボクが求められるのなら、そのときは声をかけるだろうと。
でも、1回だけ子どもたちに「オレより先に死ぬな」と言ったまま声にならなかったことがある。特別な年だった。が、そう言っていた子どもの一人が、一昨年、風のように逝ってしまった。卒業してから2回だけ会った。