大村はま

大村はまさんが亡くなった。国語教育の大御所というとちょっと違うか。教科教育の実践者であり続けた方、そんな言い方の方が少しはいいだろう。何しろ、この人の考えはたゆまない実践的な研鑽と、それに基づく洞察、理念、そうしたものからできているのだ。
最近の学校では、いわゆる授業のネタみたいなものが横行していて、そのネタが流通されているような様子がある。それはそれで、知的資源の共有化という観点では悪いことでもないのだが、教師が子どもに向き合わずに授業をなんとなく切り抜けてしまうような弊害もまま、ある。
大村はまさんは同じ教材を2度と使わなかったという。子どもが違う、自分が違う、かかわりかたが違う。そんなもののなかで同じ教材がまた繰り返し使えるわけがないと言うのだ。よくわかる。ここでいう教材といわゆる授業のネタは同値できない。同じようで言いながら全く違うものだ。
たまに、教材=資料のような考え方をとる人がある。基本的に授業を狭隘に捉えている態度だろう。教材とは、学びの対象である。資料はマテリアル。資料提示はありえるが、教材提示などはとてつもなくおそろしく高度な概念になる。
ボクらが大村はまから学ぶのは、大村はまが何をしたかではない。大村はまが何に向き合ってきたか。そのことである。