ピッケルの思い出

槇有恒という人の名著。図書館で発見。牧少年少女文庫の第1巻である。
「かなしみの立山」という大正12年1月の立山スキー行の記録が出ている。
立山温泉から松尾峠に入り、弥陀ヶ原を滑走。「理想の国」との記述あり。まさしく。そこで露営。
翌日、ガイドはそこで待機し、3人のパーティーで雄山に向かう。ところが、室堂から一の越の手前で天候が急変。松尾峠に戻ることになる。途中、天狗平で強風に倒され、そのまま動けなくなり、ビバーク。失われていく体力をふりしぼり、翌日、松尾峠に着くも、すでにガイドは待避。パーティの一人の三田が立山温泉に単独で下る。残された槇と板倉だが、板倉の消耗は激しくやがて衰弱死。板倉の身体をピッケルで確保して、立山温泉に向かう槇は幻覚に悩まされ動けなくなっている三田を発見。やがて、立山温泉に至り九死に一生を得る。
そんなスキー行である。
天狗平の名はもともと天狗の大風の伝説による。弥陀ヶ原を穏やかに流れ、風はここで急速に力を増して吹き上がる。津波のような感じだと思えばよい。トルクが違うのだ。
昨年春、天狗平のホテル前で車が宙に浮いて玄関に飛び込んだ。風速は、70mとも言われた。その風にのされた。
亡くなった板倉氏を偲んで石碑が建てられたそうだが、もしかすると、弥陀ヶ原にあるのだろうか。
巻頭のグラビアに、みだが原のスキーの光景が出てくる。美しい。厳しい世界だったのだろう。