選挙の動向

どうやら自民圧勝の気配。都市部でその気配が強い。郵政民営化云々で全くどうということの影響のない人々との考え方もあるだろうけれど、「わかりやすさ」という単純化が覆っているようにも思える。
いろんなところにそんな気配が満ちていて、例えば、子育てのことでも子どもが非行に走ったらどうなるかわからないし、その処方も対応策もわからないので子どもを生めない、育てられないという投書をけっこう見かける。人が人になるにはいろんなことがあるもので、よく年少の犯罪があったときに、「目立たない、おとなしい、特に問題のないよい子」だったとのコメントが出てくる。これとて、その子の深部にまったく気付いていないだけのことであり、「見かけ上は」との前置きを抜いてある報道になってしまう。過剰反応した人々が前述のような不安を抱く。
どうやら、この社会は週刊誌や新聞の「見出し」的心情で左右されるようになってしまったらしい。
学力低下の「学力」。郵政民営化の「郵政」。そういうものが特に吟味されることなく、ことばのイメージで踊り、前回の選挙で民主党をを指示した人々が自民党に共感している。「わかりやすい」ことは、複雑で、本来よく吟味しなくてはならないところを捨てている態度とも思える。
そういえば、文書を読んでいても「本当に賢い人は難しいことをわかりやすく書く」「誰にでもわかるように示す」など、思考の対象となるカテゴリーによる基礎的基本的なレベルを捨ててまでもそのような文書を作れと言う人も未だに少なくない。それは、読み手に考えることをやめさせる危険な手段だと果たして認識できているのか。
「私はアナログ人間ですから」というエクスキューズで処理されるものの曖昧さと稚拙さと傲慢さに、最近、少々困惑気味。