横浜事件再審請求

この事件のきっかけは、富山県泊町の料亭紋左で撮影された細川嘉六らの写真に非合法化されていた共産党の再結成との疑いをかけて治安維持法による検挙、拷問、獄死と、いわば、戦前の最も暗い部分を象徴する事件として、歴史の教科書にも、また、言論の自由について語られるときにしばしば登場する。
ボクは問題になったとされる細川の論文が掲載された「改造」を持っているのだ。売れば高いだろうなあ。売らないけど。
細川嘉六のような国際政治学者、時の権力から弾圧を受けるほどの力をもった論を書ける人が同じ町の出身であることには少々誇りがある。この町は不思議なところで、権力に対して、それが大きく威圧的なものであればあるほど嫌気を見せる傾向がある。寄らば大樹の影ではなく、逆である。しかし、肩で風切るほどでもないから、反権力ではなく、脱権力、非権力とでも言おうか、そもそもヘゲモニー嫌いなのだ。その理由のひとつに、この町が職人の町であることや、町衆に支配された藩の直轄都市とも考えることができた町であったことにもあるだろう。
職人は権力に阿らない。町衆は自ら獲得した権利を誇るだろうし、国境の要地でもあって藩が強力に町づくりに資産と役員を投入したけれど、結局、地元のことを知っているものに委ねるしかない部分もあって町衆は力を伸ばすが、その町衆が支配欲を見せることなく文化的な情熱を持っていたせいもあるんだろう。
ついでに、この横浜事件のきっかけとされる泊事件は紋左の女将の態度が有名だ。この写真が咎められたということは女将も特高に取り調べを受け、恫喝されるも、雑誌の編集者が地元の友人らを交えて旧知を温めたものとの言い方を断固として変えなかったとされている。これも、言論が世相で左右される時代に立派なものだと、泊の人々の気質を示し、また、客商売とはかくあらねばと後世に語られることになった。今も、紋左の大広間にこの写真が飾られていて、おそらく、それなりの交流があったはずだと思われるボクの家でも子どもの頃から語られてきた。
再審請求のニュースといっしょに、小泉の靖国参拝のことが流れている。ある意味これも象徴的か。