泥酔

昨年まで電車で通っていて、疲れた体にビールはよく効く。ちょっとだけのつもりでけっこう酔ってしまう。棚の上の鞄なんかは知らない間に盗られちゃってもわからないなと思いながら意識が遠ざかっていく。泥酔している人から財布を抜き取る犯罪もあるそうなのだ。
だけど、その泥酔の過程を認識していた挙げ句、犯罪に巻き込まれて一方的に被害者というのも、あまりにも自己に対する意識が軽薄だと思える。一気飲みで酔わされたと言っても、一気飲みの結末がどうなるかぐらいは成人していればそこそこ予測がつきそうなものだし、泥酔した人に何かをするのは犯罪としても、泥酔までの過程で、例えば、どうしてもと脅されて飲んだとかならわかるが、その場が止められる空気でなかったといっても下りることは可能なゲームだったわけだし、ましてや、焼酎をストレートで飲まされたと言っても、それがアルコールを嗜むために甚だ常軌を逸している呑み方ではない。飲んだものではなく、飲まされたとするシチュエーションだけが問題となる。しかし、そのシチュエーションから逃れられる契機もあるわけで、となると、泥酔したあとのことはともかく、泥酔していく過程には悪意があったともなかったとも、合意であるともないとも、どうにも判断できにくい。
しかし、今時、一気飲みとは古くさい。学生、その程度か。
思い出すけれど、学生の頃、つまみを買ってきて欲しいと1年年下の同級生に頼んだらポテチばっかりを買ってきた。お菓子で酒が飲めるかと言っていたものだ。今はどうなんだろう。あの頃はビールさえ高くて飲めなかった。安物の焼酎とトリス。仕送りの日本酒(なぜか、母は日本酒と黒豆の似たものを送ってきた)でちびちび、いや、ごくごくやっていた。ほとんどご飯を食べなくても生きていたのは、きっと日本酒のおかげだろう。でも、1升飲めたのでその気になるとかえって高く付く。自分ではコップ1杯。星一徹のごとく飲む。誘われて奢ってもらうときには浴びるように、伴宙太と化すのであった。