ファミリーパーク遠足

富山市ファミリーパークへ。
この公園は少々変わったところ。建設の際には、非常に激しい反対運動が起き、裁判にもなった。丘陵地の西側、里山の自然を残した場所だったが、様々な条件がうまく合って独特の生態系があった。富山平野の真ん中に突き出た場所でしかも、人里に密接にかかわりあってきたのがそうしたものを育んできたらしい。
実は、昭和57年か、58年頃のオープンに、最初の100人以内の入場者として入っている。この頃はコンセプトが曖昧だった。
小さな中途半端な動物園と里山を切り開いた芝生公園。それと、有料の遊具。田舎にありがちな苦笑してしまう遊び場だった。昭和レトロがそのまま新品でオープンしたようなものだった。折しも、バブル前夜。山裾の観覧車を観て、そんなもの山に登ればいいだろうと思ったものだが、ボクは観覧車が苦手なのでそう感じたのかも知れない。
ところが、その後の富山市ファミリーパークは、名前に違和感が残るほどの変化を見せた。里山の自然というのは人の手が入らないと維持できないのだが、建設に反対した市民団体はむしろそこらを捨象して無垢の自然と貴重な動植物について訴えた。ファミリーパークは、社会情勢の変化と共にズレ始めていた里山と人の関係を再生し始めたのだ。同時に、どこにでもいる動植物を意図的に展示し始める。さらに、園内のそこかしこに環境学習につながるような、いや、そんな大袈裟なことではなく、自然に小さなもの、大きなものに心を驚かせられるような仕組みを散りばめ、園全体を生き生きとした里山に、入場者が入り込むような設えをし始めた。
昨年、アースデーのアクティビティに参加してストローカイトを提供したが、それ以来。動物などを観るのは、たぶん10年ぶりくらいか。ずいぶんと変わった。
今や、ファミリーパークといういい加減な名称を変えればいいのにとさえ思う。観覧車はランドマークにちょうどいい程度に相対的に位置を動かしている。
いっしょにいった子どもたちが、鴨の着水に歓声を上げた。筍の頭をさわって柔らかいと叫んでいた。こうでなくっちゃ。