立山の峰峰

富山県西部から眺めると立山連峰は横に広がる。圧巻である。壮観である。そうそうこれだけの景観はあるまいと思うが、奇妙なのは、どう見ても、この山山のクライマックスは剱岳で、存在感は際立っている。こうやってみても、その場所さえよくわからない雄山に峰本社があってそこへの登頂が成人の証とされることがわからない。最高峰でもないのだ。実際、少々奥まった場所に位置するので、見る場所によっては大日岳や鍬崎山の方が立派に見えることもある。
この下界からの見かけは重要で、大辻山のように、確かにいい山ではあるが、大きな特徴の薄い低い山がどうしてこうも特別になっているのかと思えば、それが弥陀ヶ原の前峰として、広弥陀ヶ原の中に切り立つように三角の山体を刻んでいる。逆に弥陀ヶ原から見ると、富山平野富山湾風景に、大辻山が切り立っている。こういう山は特別である。
しかし、雄山はいよいよそれがわからない。場所によっては、竜王岳の方がずいぶん立派に尖峰を見せているし、剱に隠れて見えないこともよくある。
ところが、眺めていてふと思い出したのは、立山連峰の連なりは涅槃図であるという話。剱岳を頭に見立てるとたしかにそのように見える。どこがどれにあたるのか勉強不足だが、雄山が何となくいわゆる丹田にあるように見える。それゆえか。
こうした景観はその人のメンタリティに影響を与える。また、ちゃんと勉強してから眺めてみよう。