池波正太郎の本

昨夜手にとって、そのまま朝方読了。新聞小説なので、そんなものだろう。
少し読みの速度と深まりが向上してきた。
前の職場では、ことばの端々が何を意味するのかを実に事細かに吟味した。A4、1枚をあんなにも読まなくてはならないものかと思うくらいに読んだし、ブリーフィングなんて込み入ったことでもそんなもの。
一方、現在の職場では、だらだらと意味なく体裁を整えるために書いているものも少なくない。必要なことを、伝えるに適した表現で描く行為に慣れていない。それでいて、ことばを操り、ことばによって仕事を進めているのだから不思議な感じさえする。
ボクが仕切っているある仕事でも、実は指示語を2つ使っている。わかっている人は、何で重ねて使うのだろうと違和感をもっているはずだ。意図がある。これまで使っていない指示語に緩やかな移行をしたいと思っていて、2重に使ってインプリンティングをしているわけだ。そろそろ、大丈夫だろうと思っているけれど。
さて、本は、池波正太郎晩年の作らしい。わき上がるようなものはないが、得心のいく作品である。

秘伝の声〈上〉 (新潮文庫)

秘伝の声〈上〉 (新潮文庫)

秘伝の声〈下〉 (新潮文庫)

秘伝の声〈下〉 (新潮文庫)

出自が不肖の人がたくさん出てくる。むしろ、有故の人々に人を疎んだり、脅かしたりする心が出てくるのがおもしろい。
結局、人をそのまま全部理解するなんてできないことだ。己さえわからぬ。見えているものに正直に向き合うことこそ生き方の矜持ではないのか。そんなことを思った。詮索しても仕方がない。正直に見ている世界が変わってしまうことの方が恐ろしい。それは、悪心を呼ぶかもしれないのだ。
見えないもの、聞こえぬ声。それは、ちゃんとその人の表面に香っているではないか。
とはいえ、おたかさんの生涯だけはもう少し知りたい。下世話で、下司だけど。