終わった

あれだけ表情を崩さなかった斎藤が目に涙を浮かべながら、いや、あふれさせながらことばを絞り出している。ようやく、彼の夏が終わった。
最後の打者が田中だというのは巡り合わせだ。弁慶と牛若、そんな対決に見えた。ボクは最後の一球にストレートを祈っていた。そのとおり、高めの素晴らしく伸びのあるストレートに田中の豪快なスイングが空を切る。これが、900球をはるかに超える斎藤の夏の最後の一筆である。
斎藤については最初から注目していたが、大阪桐蔭に当たるとなるとどうかなあと思っていた。クレバーで切れのある投手と見ていたが、あそこまで崩れないとは思わなかった。どこまで行ってもリズムが変わらない。その姿は大作に挑む画家のようでもある。限りないデッサンを繰り返し、甲子園でようやく作品に手を付ける。1000手にわずかに足りないタッチで雄大な作品を仕上げる。表情とは裏腹にゴッホのような透徹した執念が見えた。とりわけ、本間を完全に抑えきった姿には、かつて、といってもフィクションだが、ドカベンに挑んでいったたくさんのライバルたちを想起させた。
そうなんだ。駒大苫小牧はまるで明訓高校なんだ。ドカベンの世界がそのままここにあるように思えた。
最後の24イニング、堪能した。野球は素晴らしい。
今、優勝旗を返した本間が、準優勝の盾を受け取った。開会式と変わらぬ、慄然とした佇まい。これが、甲子園か。ここに憧れがある。
昨日、亀田兄弟のだれかが、KO勝ちしてリング上で歌を唄っていた。あれが、一体だれに何を伝えるメッセージなのか。