スーパーカブ

ウェブ「フライの雑誌」の人気連載「カブラー斎藤のそいつは納得できん。」の最新号は、「道北遠征下準備4 スーパーカブ号をスーパーに整備する」である。
カブラー斎藤さんは、スーパーカブで遠征釣行をする人で、カブで釣りに行くこと自体はご近所のおじさんには普通で珍しいわけではないのだが、フライフィッシングというどことなくお洒落に見られている釣りでは少々風体が変わっており、そのうえ、北海道でも遠征してしまうという大胆さもあり、釣りのスタイルもよいので、耕運機で日本を縦断してしまうビーパルのシェルパ斎藤さんよりも人によっては、支持者が多い(と、思う)。大体、フライフィッシングというと、カーグラに出てくるようなクルマがイメージされるほど、フライフィッシャーの全体像は誤解が多く、実に機能的な軽ワンボックスとか、ごく普通のクルマでどうしてフライフィッシングがイメージできなくなるのか不思議だが、表だってそういうことを話している人もいないので、その部分はどうでもいいや。
実は、ボクも学生時代にはC50系の筐体を2つ使っていた。原チャリの免許しか持っていないもので、バイク乗りというには情けないところだが、C50、ST50、XE50、CB50などなどいろんなのに乗っていた。XEとCBはショートストローク高回転のスポーツタイプなので、ここではC50、つまり、スーパーカブ系のお話だけね。
ボクが使っていたスーパーカブは、それはもう、田舎の、農村の足として使われていたもので、ODなんかも、スーパーローなんかも付いていない、ホントにノーマルなカブ。しかし、ある峠では、最速のカブとして知っている人は知っていた。(たぶん、1台だったはず。しかし、掛け値なく、3本の指には入っていた)ダックスも好きなんだけど、雨の日や車載できる荷物が小さいのでカブを使って遠出することもあった。2日で500キロくらいなら普通に走れた。メンテナンスがあまり必要ないのも好きだったが、それでも時々修理箇所がある。
ちょっとしたものなら、何とか自分でやっていた。チェーンのテンション調整とか、キャブレターの掃除なんてのはおもしろい部類で、春先の下宿屋の物干し台の下で油に汚れるのも楽しい。ちょっとの調整でずいぶんと感じが変わるのだが、カブラーさんは、スプロケの交換をしたらしい。スプロケをスピード重視に換えたというのだ。折しも、今週号の「週刊ベースボール」は速球の特集で、速ければ打てないというのものではないのだが、しかし、それは常に欲望の果てにあるものだというのだ。カブラーさんはその整備が奏功して70キロオーバーの世界を手に入れるのだが、やはり、トルク不足も露呈する。向かい風ではずいぶん違うのだ。
あのカブではずいぶん遠くまでいったし、いろんなことがあった。
五箇山の山越えでは、倒木などをかき分けようやく山道を下ったら、現地の方が近寄ってきた。
「あんたら、この道からきたんか」
「ええ、そうです」
「道はどうやった」
「倒木が数カ所ありましたが、バイクをかついで通れるくらいです」
「雪はどうじゃ」
「一箇所もありませんでしたよ」
「そうか。そりゃ、ええな。村のものに通れるようになったと有線で報せにゃならんな」
同じ五箇山で山越えの途中パンク。どうにもならなくて、タイヤを潰すつもりでそのまま山越え。閉店間際の役場前の自転車屋で修理を依頼。捨てるはずのチューブを持ってきてそれに換装。
「町に着いたら換えて。スピードは打さんように」
と言われながらも、バイトに間に合わないので超高速で山を下り、雨の中バイトのパスタ屋に飛び込んだ。
峠道の下りでハングオンかけたウッシーがそのままのり面にぶつかり、「チ○ポ、さなぎになりました。」とびびっていたこと。ぶーちゃんが、カブで河原のダートラやってステップ折ったこと。
大学の構内でスノータイヤ拾ったこと。
お米と味噌、大学の畑で収穫したジャガイモとニンジンをもって能登半島を一周したこと。七尾の峠では、下りコーナーでうっかりブレーキかけて強烈なアンダーステアに対向車線に飛び出してそのまましばらく走ったこと。
ガス欠になって、相棒のCB50の肩に掴まって、ワインディングロードを走り抜けたこと。
楽しかったなあ。ボクのカブには、カウリング(というか、泥よけ)にHRCなど、当時の花形ライダー、フレディ・スペンサーのスポンサーステッカーが貼ってあり、ボクのヘルメットもアライのスペンサーモデルだった。ちなみに、相棒は片山敬済モデル。
もう、乗れないし、乗らない。でも、何か1台乗りたいバイクがあったらと言われると、やっぱり、ダックスか、スーパーカブ。CT110でもいいけど、免許がないから。