渓流最終日

ついに、ろくに釣りの出来なかった8月に続いて、9月は渓流釣りに行けなかった。こうやって、終わっていくシーズンが繰り返されているな。それでも、自らがフライフィッシャーであるとする矜持をどこかで保とうとしている。決して、枯れた釣りになったわけではない。川のパトスはどこかにある。1尾の魚を事務的に片づけられるほど冷静ではいられない。何か考え方の奥底、体のリズムの基底で川に繋がっているという実感。それが、矜持の具体的な手触りか。
来年は、どこでどんな釣りをするのだろう。春の里川に立つ頃、ボクはどんな心境でいるのだろうか。
しばらくは、中学生の頃、自転車でふらふらと遊びに行った浜で海のフライでもいじることにしよう。