白樺書店

次男が生まれた年だから、もう15年も前になるか。研修で3か月ほど勤務を離れて、その頃はまだどう使われていくのか見当も付かなかったコンピュータの勉強をしていた。ようやく、DOSからGUIの普及に足がかりができた頃で、マックOSの斬新さとマルチメディアという威勢のいいことばが多くの未来を暗示していた。ボクは、発売されたばかりのエプソンのノートパソコン(CPUは、286。メモリは、64KB!)を抱えて、コンピュータとは何かという思索と、具体的なマルチメディアタイトルの制作を行っていた。
2時間ほどの通学時間の終点が、その地下鉄線の終点駅。今は、ここから日本で最初の営業運転になる磁気浮上式リニアモーターカーが県東部の丘陵地帯に向かって走っている。
女房の実家に居候を決め込んだボクは、それでも遠慮があり、夕飯直前に帰り、また、朝も早々に出かけていたので、勉強が早く切り上げられればどこかで時間つぶしも必要だった。コンピュータにかかる哲学など、研究室で考え込む必要などなく、電車のなかでも、公園でも脳味噌はボクに付いてきたし、また、本当に不浪者がたむろする立派な高速道路下の公園で、ノートに思い付きを書き殴っていた。文献さえあれば、どこでも教室になるのだ。その文献も、コンピュータのような新しい技術に関したことは大学の図書館の蔵書などでは収蔵が間に合わないものも多く、書庫に入り込むことは多くの場合徒労に過ぎなかった。結局、ボクは市井の本屋の店頭を探し回る必要に迫られた。そこで、中心街の大きな書店めぐりが最初の時間つぶしとなった。ときどきにジャズ喫茶などを回りながら、まだ2キロほどあったノートパソコンを抱え町中を、かつて、浪人していたときがそうだったように、探し回るようなふりをしながら逍遥した。
数週間ほどして終点駅の前の白樺書房に入る。間口もそれほど広くない、むしろ、入りにくいタイプでさえある本屋には、とりあえずひと揃いの本があった。狭い通路を入り組んで、右側の奥にある現代思想、とりわけ、ポストモダンに関する書棚に興味があった。当時の思想状況をよく反映した書棚は、この店の主人がよくふまえていることをしめしており、多くの場合、ボクが読みたいと考えたものが実に的確に整理されて陳列されていた。まるで、引用文献の一覧を探るように、ボクは順繰りに本を手にとって開いてみればいいだけであった。次第にその場所での滞在時間は長くなっていった。
受験参考書などが並べられた場所はどうも気が憂く、どちらかというと避けて歩いていたが、ある日、その方面にルートを通ると、パソコンの本が並んでいる。「MS−DOSって何ドスか?」などいう名著がまず目に入った。やがて、その書棚がただ者でないことを知る。
パソコンの本など、今では使い方の指南書、いわゆる市販マニュアルがその多くを占めているが、この頃は思想書にも近い本がたくさんあった。リベラルアーツとして、パソコンという道具をいわば思考と身体の領域から開放する戦略のひとつとして捉えた人が少なくなかったのだ。実際、ある種のテキストを編んでいく、エクリチュールの活動は、それまでのパロールとして生成することばとのわたりあいのなかで、これまでボクらには見えてこなかった「考える身体」を具象化するものであった。そうした思索の手がかりがそこにあふれていた。やがて、ボクはこの書棚から本を抜き取っては、隣のミスタードーナツでVZエディターとエクリ活動のために常駐することとなる。
蛇足だが、この頃のノートパソコンはせいぜい2時間駆動すれば十分で、それもクロックをぎりぎりまで落としている。バックライトを消して、アウトドアの蛍光灯で照らしていることもあった。むろん、モノクロである。思い切り気持ちが盛り上がってこれからいいことばがつむげると思ったときにバッテリーが落ちたこともないではない。そこで、ミスドの人にコンセントを貸してもらえないか、必要なら対価も支払うと言ったところ、今のように多くの人が方々の出先で電源を必要とすることも少なかったので、どうぞどうぞと赦しをいただいた。奥まった角のスペースがボクのお気に入りとなり、アメリカンコーヒーを何杯もお代わりしながらキーボードを叩き続けた。今はF1のオーナーになっている鈴木亜久里ポディウムを獲得したのもここで聞いた。
それから長い年月が流れて、昨日、その店先に立った。変わったものと変わらないものの狭間で、あのときと同じようにその本屋はあって、同じように、同じ場所に、よい本を並べていた。Web2.0にかかる本がやけに多く、W-ZORO3に登載されたOSでのアプリケーション作成の手引きなど、多くの人々に関係ないようなものが平積みにされていたし、友人が書いたブラウザの手引きがあってわざと目に付くところに移動してみたりもした。まわりを見渡すと、相変わらず良質の本をまんべんなく置いていて、カウンターではこういう本もあるのかと思わせるようなものを会社帰りの女性が受け取っていた。よい本屋はよい亭主、店員に支えられるものであり、それが、この数年でとんでもない地価の変動を見せたこの場所で変わらずに続いていることに感じ入った。
しかし、この店の支店であったコミックの店はどうやらなくなったか、移転したようでもあった。萌えな店だったのだが、それがauショップになっているあたりに時代の移ろいも見えていた。
もう数時間、そのあたりに居たかったが、残念なことに、時間切れとなる。
あの頃から数年を経て、今度は大学院で勉強する機会をもつが、相変わらず勉強の仕方は同じで、図書館の書庫に求める本はなく、いわば教育のサブカルチャー的なものをどうテツガクするのかを命題としていたボクは、当時と同じパソコンを抱えながら町を歩き回っていた。学生の頃に籠もっていたジャズ喫茶も既になく、駅前のミスドサイゼリアを拠点に論考する毎日であった。だが、いい本屋はなく、専らネットで本を仕入れていたが、あの書棚に立つ愉悦が懐かしくも切なくもいつまでも残っていたボクには、白樺書店との再会は、その土地に行った訳アリの由とは裏腹にいくつかの感覚を大切に蘇らせるものとなった。
ことによると来週も再会の可能性がある。