昔の本箱から

女房の実家に預けてあった本箱を、掃除のついでに開けたら、ずいぶんレアな本がいっぱい出てきた。「マカロニほうれん荘」が美麗な状態で出てきたのには驚いたが、川島なおみ、松田聖子、樋口可奈子、そして、手塚さとみと、アラーキーの写真集が出てきた。こういうのブックオフなんかだと安い。リストを作って、何か考えてみようと思っている。「オリンポスのポロン」や「シッコモーロー博士」などは欲しい人もあろう。
中に、大友克洋の名作「気分はもう戦争」が出てきた。久しぶりに読んだが、やはり、名作である。今も十分に通用する国際感覚があふれている。これからしたら、今の安部政権がどんなことをやっているのか本当のところなどわからないけれど、俄に亢奮して、声高に正義を叫ぶのは幼稚な感じがする。同じ理由で、今日の「太田総理」もおもしろくなかた。いじめがテーマになっていたが、いじめられた子がかわいそうという情念からは何の解決策も得られない。
ちょっと横道に逸れるが、この間から朝日新聞におもしろい記事があったので、2つ紹介しておこう。
一つは、読者の投稿。ばんえい競馬に関する話だが、鞭を入れるとその跡が尻にくっきりと残っていて大変かわいそうだった。馬が自発的に走れるよう努力すべきという内容だったが、ネタかと感じさせるほど、進歩的(古っ)な投稿者は本気であったようにも思えた。
その数日後の紙面が2つめ。いじめ問題(という問題があるのかどうかを検証したいものだが)を取り扱って、読者の「私もいじめられていた」「私もいじめていた」という声を反映した1枚特集なのだが、四半分近くを占める広告がいわゆる「輪印」。好色浮世絵のものなのだ。わざとならすごい。実際、体験談など共感やある情況が特異点でないことを示す以外に多くの問題に対応できない。自分で書くと恥ずかしいが、ボクなどもおそらくかなりいじめられていた方だろうと思うし、ボクのふるまいで傷ついた人も、ボクが傷ついたほど、あるいは、それ以上にいるのだろう。そんなものをいくら一般化したところで、現実的にいじめで自殺しないという処方箋を描くに過ぎないし、そんなことは書かれなくったってわかっているんだという苛立ちを募らせるだけだ。もしかして、紙面を作っている人にそんな思いがあって、交錯する男女にメタファーを描いていたのならおもしろい。(あんまりそうは思わないんだけど)
そんなことを考えているところで、「気分はもう戦争」を再読したものだからいよいよおもしろかった。今、学生たちはこれをどう読むのだろう。価値の限りない相対化の行く末に、価値観を喪失し、どこまでもモノフォニック化していく身体とことばは、ガンマンと流れ者、そして、過激派が浮遊する世界をどう感じるのだろう。
深刻でなく、リアルであること。さて、どうなんだろう。
気分はもう戦争 (アクション・コミックス)
あ、ちゃんと復刊されているじゃない。
たいしたものだ。まさか、ソ連がロシアになっていやすまいな。