今日はカレーの日らしい

昭和57年の今日、全国一斉に給食でカレーを出したんだそうな。それを記念してカレーの日らしい。
給食のカレーはたまらず不味い。甘いカレーというのがどうかしている。香辛料を加えた結果、辛くなっているので、それは食べものとしての体裁を整えると、その食物の性質として辛くなるのに、わざわざ蜂蜜やら砂糖やら果物を入れて甘くしてしまうのは何ともいけない。そのうえ、香辛料を減らしているので、「カレー味の何か」になってしまっている。
ボクはカレーが好物なのだが、そのために、なおのこと嫌悪感が募る。珈琲好きだっていうので、ネスカフェの一番高い奴をふるまうことにも似ている。

カレーの思い出1

うちの親父の台詞。
「ウンコくっているのにカレーの話なんかするな!」

カレーの思い出2

弟。5歳頃。辛いカレーを食っていてあまりにも辛いので水で埋め始めた。ぐちゃぐちゃにして、かき混ぜた挙げ句、Yというボクの友人に「Y、食べる?」かき混ぜるさまを見つめていたので食べたいのだと思ったそうだ。

カレーの思い出3

学生の頃、どうしてもカツカレーが食べたいので、カレー粉を溶かして出来合いのカツ(80円の安売り)にかけて食べた。バーモンドカレー甘口だったので、ヒデキ感激だった。おそろしく胸焼けのする食い物だった。

カレーの思い出4

高校のスキー部の大会遠征。なぜか、カレーに醤油か、ソースかの話題に。2時間盛り上がった。翌日、宿舎の昼飯がカレーだったので監督が交渉してうちの高校はお代わり自由にした。午前中のスラローム1本目を終了して急いで宿舎に戻り、カレーを最大4杯食ったのがいた。腹にもたれて、2本目は不調に。宿舎に戻ると、惜しくも2位に終わったU高のYくんが少量のカレーを噛みしめるように食べていた。そもそも、1本目と2本目の間に飯なんか食べていないのだ、彼は。成績不調の上に、さらにあわよくばもう2,3杯食べようと食堂に駆けつけたボクらとはあまりに差が大きかった。Yくんは、ひとさじごとに天井を見つめていた。

カレーの思い出5

昔、わらび平のヒュッテで食べたカレーライスは、タマネギが辛かった。古い体育館のような食堂には、山本リンダの「チキチキバンバン」が1日中繰り返しかかっていたのだが、それが10年近く続いていた。ソースは何だったのだろう。レコードがそんなにもつはずはないので、村で「チキチキバンバン」専用有線をやっていたか、予備のディスクを持っていたのか。あるいは、オープンリールに長大に何曲も入れてあったのか。

カレーの思い出6

岩岳の山頂レストハウスのカレーライスは、カレーが別の器に入ってくる洋食屋風だった。このレストハウス、なぜかボルシチがラインナップされていた。ボルシチと牛丼を扱っているレストハウスの風情は、シベリアの田舎にある高級食堂と思われているところのような気がした。しかも、駅前。シベリア鉄道の途中駅。

カレーの思い出7

仲間といっしょに河原のキャンプ。本格カレーの製作。何となくガラムマサラをざーっと入れた。辛いのが得意な人ばかりなのに、実に辛かった。トウガラシをそのまま食べるより辛かったかもしれない。

カレーの思い出8

高岡市のインド料理屋。グリーンカレーというのがあった。人の食べるものではないと書かれた青トウガラシのカレー。食べると人でなくなる心地になる。リーガルドラッグである。その状態でサックス吹けばコルトレーンになれるが、バイクを運転したので、相当危なかった。