虎は、ありがとうと言うのか

自分を虎だと思うことがあるのは、寅年うまれということもあるんだろうが、何よりも他と自分との関係の中で成立するものが叢中の虎であるように感じてきたし、あるいは、それも悪くないと思い続けてきた。実際、傍目にはそう見えよう。群れが力を持つことよりも先に、強い顎と腕を持ち、たくましい脚で駆けるが、それを見せるのは志が動いたときだけ。仲間のために使わないではないのだが、仲間がやれる間は手を出さないし、それは彼を信じるがゆえであるとも思ってきた。それが、どこかひどく他人行儀に感じられたり、ひどく無愛想で無感情に感じられることもあるのだろう。
その虎が今日は、たくさんの「ありがとう」を聞いて優しくなった。春の日差しの中にどこでもどこにでも「ありがとう」があふれている。叢中の虎は、そのありがとうが言えずに虎と化した。ボクは叢中の虎にもなりきれず、藪の中で絞り出すように「ありがとう」と繰り返すのだ。「ありがとう」とつぶやく姿さえみっともないように感じる自尊心の卑小さに食い入るように身を隠すのである。心の底の光さえ見せないようなからだを嘆くのである。
だが、沢尻エリカにはなかなか泣けず、ティッシュをもったままの妻を前に、野球の結果が知りたいなとデリカシーのなさを露呈している。これでは、虎ではなく、狗である。超然としてればいいのに、ジャイアンツの2点が気になり、前田幸長サイドスローが興味深いのである。