パソコンに向かうな、か

ある業種の、とある職場でのことばをブログで拾った。パソコンに向かうより話をしろってことらしい。
なるほど、パソコンに向かって文書を作っているときにはクリエイティブな仕事ができないという意味なんだろう。それは、パソコンを清書機と考えている世代の考え方だ。ボクにはパソコンは既に「思考の機械」であって、思い描いた形になっていないものに目鼻立ちを与えていく作業だろうと思っているんだけど、決めたものを打ち込むように考えているんだろうな、そんな言葉遣いをする人は。
パソコンに向かってから考えるようではいけないが、パソコンに向かって身体感覚から切り離すことであらゆる想定をこなせるから物事を深く洞察できるのだろうと思っているのだが、それはボクだけのことなのだろうか。わからぬ。だめだと言われてもそれがボクの考え方である。どうにもならない。
パソコンを扱っているんではない。パソコンで考えているのだ。ゆえに、よいエディターをもつと、文字を紡ぐことがうれしくなる。さっきまでやっていたある仕事では、表組みの動作が遅くてとにかく思考さえ中断される。ワードで複雑な表を作るんじゃない!誰に向かっていっているわけではないが。