佐々木助七メモ

慶応元年(1865年)2月7日、音沢生まれ。助三郎。助七は屋号。佐々木仁次郎は弟。区別が付かぬほど似ていたという。16の歳には猟にでる。師匠は蛭谷の長崎権四郎。生家は消失し、今は少し上流に移った。
大正8年(1919年)木暮理太郎、中村清太郎の宇奈月〜平間の遡行に同行。助七の音沢村のパーティーと、宇治長治郎の大山町のパーティーが同時にこの遡行に従っていた。このとき、助七54歳。佐々木作松はこのとき音沢衆のひとりとして参加。
明治42年7月、井上江花の黒部探検に同行。佐々木助七と佐々木仁次郎。

ふたりは黒部の山の名物として誇るにたる人物である「越中の秘密境・黒部山探検」

と書かれている。
中村清太郎は、「黒部の生きた地図」と書く。
吉沢庄作は「黒部の神」だと書いている。
大正2年(1913年)8月、吉沢は助七に案内され剱岳に登る。
昭和20年(1945年)8月19日、満80歳で没。孫は、佐々木助一。(佐々木助忠という人物を知っているが、関係があるかどうか)
大正6年(1917年)、対象9年(1920年)2回にわたって軍の飛行機射撃演習に参加。感謝状を賜る。