元気をもらった

高校野球中継でインサートされるメールやファックスの紹介。
多くはステレオタイプで、実際に届けられなくってもいいんじゃないかとさえ思えるものも少なくない。
その一つがこれ

懸命に練習する選手たちに元気をもらった。

元気はもらうものなのだろうか。
わからぬ。
ボクにはわからぬ。
八柏龍紀が「「感動」禁止」で書いているのが、「感動の餌付け」である。自分が心を動かす前に、「感動するアイテム」を受動的に与えられているということだが、例えば、これは、「遊び」についても描ける。
同書から引用する。

そもそも「遊び」とは、自分から見つけ出し、自分で工夫して楽しむ時間芸術という要素があったはずだ。しかし、ディズニーでもピューロでも、「遊ばせてもらう」という受け身的な状況しか存在していない。
結局、人びとは観客あるいは消費者としての役割しかそこでは期待されていない。それとともに、誰もが楽しめる「遊び」、誰もが失敗しない「遊び」しか、そこには用意されていないのである。

「感動」をブランド化し、「遊び」さえもパッケージにして流通させるような昨今、「感動」のレッテルも、「遊び」の帯も付いていないようなものは手に取ってさえももらえないのだろう。

現代の気分をよく示した好書です。