イチローに難癖

イチローの200安打7年連続というのはたいした記録なんだそうな。
ところが、楽勝の中での安打、優勝争いから離れた場所での安打などと「難癖」を付けられていると、「週刊ベースボール」のコラムに書かれていた。いや、難癖などではなく、その通りじゃないのか。
1本1本の安打に対して執着を見せるイチロー。その1本の価値が伝わっていないと、時々いらだったことばを使う。ボクらもイチローの苛立ちと同様に、その1本が、例えば、レッドソックスヤンキースのような、例えば、巨人阪神のような、そうした場所で表現できないことを悔しくも、まるでその価値が認められていないかのように感じてしまう。つまり、「難癖」ではなく、そうしたコメントが抱えている焦燥は明らかに「過小評価」である。イチローがそのような場所でしか多くのプライオリティを得られていないのではないかという苛立ちである。
この間から、誤審だの、あるいは、その記録への懐疑だの難癖だのしきりに書かれていることそのものがイチローの不幸だ。
シアトルのファンに求められたからとその場所に留まる選択をしたのだが、旬は短い。思い出で評価されるほど、野球は甘くない。移ろう時間の中で正当に評価を受けるためにも、彼は間違いなく移籍すべきであった。
アメリカの地図を見るがいい。かつて、裏日本と呼ばれた場所があったように、そして、今もその思念は生きて働いているように、シアトルなど、「遠い昔遙かな銀河系で」くらいの話だ。
そのコラムを読んで一番腹を立てるのが、イチローか。いや、チームの伝統の重さを経験していないイチローには見えない、割り切れない事柄かもしれない。