出典は?

ある研修会で。
久しぶりに発表の機会をもらったもので、何かをまとめるというよりも自身の現在の考察について、得意のというと変なのだが、手書き(オトグラフというそうです)の図版を作ってあれこれとテツガクした話をして、それから具体的な実践例を挙げた。
ボクは正直なところ実践例なんてどうでもよくって、ある特定のシチュエーションで成立しているものを他の場所でうまく機能させられるはずもなく*1、どんな考え方に達したかによって、結局そんなものはだれかが思いついて、同じ思考のベクトルさえあればそんなものちゃんと同じように、その場所に合ったスタイルで実現できるものだと信じて疑わない。だけど、最近は少々迎合しながら、「おみやげ」くらい渡しておくかってな調子で、少しだけ先に考えていて形にできたものを提示するくらいはやっておくことにしている。
30分なんて言われたもので、たっぷり20分はしゃべったかな。こりゃ質疑なんて出ないだろうと思っていたら、出た。
「この図版の出典は?」
そう聞かれた。オリジナルだって。どこにもないというのも傲慢で、似たようなことは誰でも書いているだろうが、とりあえず自分の中で今考えているものを表現したばかりである。
質問した人はとても勉強している方で、たくさんのいろんな本を読んでおられる。ビジネス書も読まれるようで、そういう本からの知見をたくさん披露される。ボクの読書など読んでいるだけのことで、その人のように仕事に役立ったり、何かの説得力に生きたりってことは少ない。
ただ、あとから考えてみると、結局アプローチが違うだけのようにも思う。彼は出典を使って、評価の定まったものやそれなりの知恵が既に反映されたものから自分の思考に沿ったものを選び出し説得を試みるのに対して、ボクはそうした様々に自分にふれたことばから自分自身で説明の付くことばをひねりだし、自分の思考の姿として示すわけだ。結局、プレゼンテーションの様相の差とでも言えばいいのかな。
もっとも、彼の方が万人を納得させられる。そういう空気だった(笑)
だけど、20年くらい前に考えていた共同態のモデル図を今回蒸し返すように思い出し、それをもとに話してみた。自分自身が間違いなく権威から遠ざかっていくことを良しとして、さらに、組織と個は対立しないことを前提にしている、と気付いた。
今回の発表で、また、余計な思考に首を突っ込み始めた。収まらないな。まだ、若いということか。来年4月に締め切りの研究論文募集がある。やってみたいのはやまやまで、さらに賞金もマックのいいやつが買えそうなほどなので、ちょっと頭にひっかけているのだが、当面1か月前の原稿を書いているようではおぼつかない。そこへ、近々の原稿も頭に掛かり、さらに、明日は、商工フェアの出展ブースのお手伝い*2をすることになっており、明後日は祭りで一日御輿にまとわりつく。ぎりぎりの時間を探してはことばを描いている日々である。

*1:と思っているかどうかは分かれ道だけど

*2:何がどうしてそうなったのかわからないのだが、ボクが考案したらしいストローカイトの製作を新聞社があるオーガナイザーに依頼した模様。しかし、知らない。当たり前。それでボクに来てくれとなった。それに合わせてマニュアルも手書き図版で落書きして配布されるらしい。どこかで勝手に広がっている感覚はおもしろい。知的所有権は主張しなくていいですかと聞かれたが、そもそもお金にできない。広がれば幸いです。