UFO、ゴジラ

先日、官房長官がUFOの情報について答弁して初の政府公式見解となったというニュースが流れた。続いて、石破防衛大臣が、ゴジラが現れた際の自衛隊の出動について記者会見での談話で述べた。緊張感がないとの批判もあったが、実際のところはどうなんだろうか。真剣に議論する必要はないのだろうか。
というのも、UFOとは未確認飛行物体なので、たとえば、不明の武器による脅威についてもそれはUFOだと考えていい。というより、テポドンだのステルスだのと確認できないようなものはすべてUFOなので、官房長官の答弁もUFOを確認しているかと聞くのはそもそもつじつまが合わないので、確認できない飛行物体はないかと聞くべきで、それはおそらく、ある。流れ星などの落下物体もそうだろうし、痕跡を明確にトレースできない飛行物体は思うほど少なくないと思う。そのいくつかに悪意が存在し、攻撃の意図があるかないかはテポドンの脅威と同じで、やってこなければわからないものではない。
先日、仕事で不審者対応の訓練を行ったが、一番の問題は、どの段階でどのように不審者と断じればよいのかである。意図を読むのは難しい。偽装も可能だし、悪意は際限がない。どこまでも増殖する悪意に立ち向かうには、ラベリングが不可欠だが、どこで貼り付ければいいのかわからない。
UFOだって同じで、正体がわかってからでは遅い。それをテポドンなら真剣な議論で、UFOなら緊張感のない議論と言ってしまえるあたりがすでに小春日和である。ゴジラもどうようで、石破はそこらを十分承知のうえで、「モスラも同様」と述べている。
現実にゴジラが三宅島から都心に向けて動き始めた場合には、最初の対応は海上保安庁である。こうした外敵に立ち向かえる法的な根拠を有しているのは警察組織で、自衛隊はどこから出動が可能かとなると、災害が生じた場合で、一旦三宅島で甚大な被害が生じたとき、その災害救助と災害の拡大防止を名目に対応にあたれる可能性はある。しかし、その際にも、火気の使用はどうするのかという問題が生じてくる。国家の主権を侵害されるような事態においては自衛隊の本来任務としてゴジラへの発砲が可能になるのだろうと思うが、どっか田舎の地方都市が蹂躙されてもそうなるかどうかはわからない。少なくとも現在は有事法をもとに対応するはずなのだと思うが、問題はゴジラ事態を有事と判定できるかどうかなのだ。防衛大臣はそのことを話していたはずだ。
ゴジラ映画では、自衛隊でも、政府でも、警察でもないGフォースという組織を用意して、一定のシビリアンコントロールのもと、ゴジラ事態に対応するようになっていた。ゴジラの制御と抑制、抑止に関してはある程度の権限を与えられていることがわかったが、特別立法措置がどのように行われ、政府のどんな予算を使っているのかはわからなかった。「ガメラ」では自衛隊の組織を動かすための面倒な手続きが映画化されていてとてもおもしろかったが、ぜひ、ちゃんとそういう議論をしてもらいたいものだ。
しかし、使徒あたりになるとどうなんだろう。手に負えるのか。それと、ゴジラの殲滅では、その名の起こりがゴリラとクジラという希少動物であることから、いろいろ問題も出たりしないのか。
ちゃんと考えることは不真面目ではない。対象を空想的なものと決めつけて議論さえ遠ざけるような態度が不真面目なのだ。少なくとも、現実が想像を超えることに恐怖感を抱かない昭和30年代の生まれはそう思う。
ところで、サンジャポ高橋ジョージが話していたが、デジカメ時代になってUFOの写り込みや心霊写真が少なくなったそうだ。それは、肯ける。銀塩は化学反応であり、デジカメは光を受光部に捉える。光でないものはデジカメには捉えられない。
ボクは、阪神大震災の日、雨飾山上空を飛行するオレンジ色の発光物体を見た。見かけの大きさは航空機をはるかに凌駕し、雲に入るとそのまま痕跡を消した。前のリフトに乗っていたグループも彼女も見ている。不可解だが、怖くはなかった。何かそういう噂もあったし、今も活断層を人為的に動かしたという話もある。恐怖感は具体的にしないと対処が難しい。
ゴジラ有事も、UFO有事も同じである。