今日は成人式が多いなあ

ボクの頃は、1月15日。こういうのは縁日なので、そのままでやるべきだと今も思っているが、法律にはかなわない。明日が、いわゆる「ハッピーマンデー」の成人の日だが、このあたりでは、3連休の中日に実施するところが少なくない。どうも帰省する学生さんたちに配慮した結果なんだそうだが、そもそも帰省する学生さんにいちいち配慮する必要があるのか、ここでしっかり働いたり、くらしたりしているみなさんや、住民票のない人へのサービスが必要かどうかも議論すべきと思っていて、行政サービスの一環だというのなら、ぬけぬけと旗日どおりにやってしまえばいい*1し、アトラクションも記念品もなく、儀式だけで十分である。そもそも、わずかな記念品やお茶を濁したようなアトラクションに参加したい動機がどこまであるのだろうか。自分の子どもの成人をわざわざ地方公共団体に祝ってもらわなくても、その価値が損なわれることはない。という考え方を持っているものだから、成人式など出席の必要はないと思っていたら、実家から電話が入った。成人代表の担当地区になったから来い、というのだ。全く迷惑な話だが、仕方なく実家に戻りリハーサルに赴くと、「書いてきたか」と言われる。はあっと返すと、どうやら成人代表の挨拶だったらしい。ひと言も聞いていない。帰って父に話すと、そのはずだと言うのだが、担当者は全くそのことを事前に告げなかった。しかたなく、父が一晩がかりで文章を書き、ボクはそれを自分のことばのように読んだ。それなりによい内容で、名文であったし、ボクも読み方としてそう悪くもなく、父のことばを上手に生かせたように信じている。思えば、初のコラボだったか。最初の一節は今も記憶している。その一節だけをどう読むか、便所で練習した。ボクだけが学生らしくブレザースタイルだった。
その後、アトラクションでディスコダンスと称して「ジンギスカン」などが踊られたが、下手の考えであり、そんなものをボクらも所望していないし、儀式の礼節だけで十分であった。喜ばそうとか、おもしろがらそうとか、あきさせないという発想がそもそも「成人」に対して甘く、馬鹿にした態度であることを、今もそう気づいていないようだ。おかげで、客人化した連中が主役と主体と来賓を全くよく分けられないまま暴走したりもするのだ。昔は、成人式の着慣れない服装に「七五三」の揶揄を当てたが、今は中身まで「七五三」である。千歳飴でも配ってやるといい。
前ふりが長くなった。
成人の祝いに買ったものは、オリンパスXA2であった。XAは1万円高くて買えなかった。当時住んでいた町は、地方都市にもいよいよバブルのしずくが飛び散り始めるかと思われる少し前の頃で、高度成長と戦後的なものをまだまだ色濃く残していた。その風景を自分の目ではないもので残しておきたいと思った。それには、短小包茎早漏カメラ*2がふさわしいと思った。ボクはそのカメラにトライXを入れて町を歩くことにした。ストロボもクリップオンできるおもしろい作りだったが、ガイドナンバー11程度ではどうにも使い道もなく、暗くて警告音が出ていてもがんばってシャッターを切った。
最初に撮影したのが、富山市駅前でアジビラを配る女子学生活動家の姿である。その写真を今も探してみるのだが、見つからない。しかし、その風景は刻み込まれて忘れられない。最初のシャッターということもあったが、世の中の何の必要もない風景と人にシャッターを向けたボク自身の最初のジャーナリズムだったからだろう。少し伏し目がちにビラを手渡しすヤッケにヘルメット姿の女子学生。特徴のある文字を見つけた年配の女性がふと彼女の姿を見上げる。そこにどんなつながりがあるのか。いろいろな想像を広げさせるものであった。
以来、ボクはそのカメラを持ち歩いて方々を写し、プリントしては部屋の壁に張り巡らせた。世界を自分のコードで切り取るような仕草である。今のように、ブログで世界とコミットできるわけではない。物理的に閉鎖されたその部屋に埋没しながら、決して楽観的ではない毎日をしのいでいた。何かきついこと、困ったことがあったわけではない。切迫した不安に切り刻まれるような空気をいつもまとっていた。たくさんの本がボクの傍らで声を張り上げていた。原付バイクで走り回っては、その声をことばに環流していた。あの頃、釣りをおぼえていたら、ボクは今頃どうしていただろう。
息子が今日、20歳になった。めでたいことだ。埼玉でこの日を迎えている。どういう朝になったか。大学に願書を出した日から、大切なことは自分で決めろと言い聞かせてきた。必要なら親を、仲間を頼れと言ってきた。この朝の重要さは、いつかもう少し先になってからわかるのだろう。
おめでとう。ボクは君の父であることを誇りに思う。
さて、ボクも、下を向くことも多かったあの頃を思い出すために、久しぶりにXA2にフィルムを入れてみるか。あの頃と違う光景が写るのだろうか。いや、案外そうでもあるまい。
と書いているうちに、息子のところに行くことにした。
11:00出発。
17:00到着。
途中、雪もあったが、さすがにSUVへいっちゃらである。
ナビも適切。いろんなところを悩まずに移動できる。
息子には、万年筆を買う。クロスのものだ。そう高価ではないが重厚感のあるものにした。困ったことにボクも欲しくなる。コンバーターを使う方が万年筆を楽しめると教わった。文房具の味わいは深い。いいバイスといいペンは想像力を豊かにする。
誕生日のお祝いを閉店間際の不二屋に飛び込んで買った小さなケーキにして狭い下宿で、ろうそくを立てた。このくらいしかしてやれないが、何とかこの日に会えたことを内心とてもうれしく思っていた。
実は、妻は、息子の母はこの成人の日をひとりで過ごしていたのだ。今から思えば、どうしていっしょにいてやれなかったのか悔いてならない。あとからどうしようとしても取り返しがつかないことだが、こうやって、息子の節目に向き合うことで乗り越えられるものもあるように思えた。
思い付きだったが、行ってよかった。次男、三男はどこで成人を迎えるのだろう。

*1:うちの町は旗日どおり

*2:アラーキーのことば。コンパクトなボディに、独創的なレンズバリアー、それに、反応のよい接触型の電子シャッターが装備されていた。XA2は固定焦点オート露出だが、XAはマニュアルフォーカスで絞り優先AEであった。PENシリーズの正当な後継者である