3のとき阿呆になる

学習指導要領の改訂の話を見ながら、算数にからんで世界のナベアツの芸を思い出した。数学的によく考えられているのだ。芸は至極単純で、40まで数える、いや、唱えるのだが、3の数字が付くときと、3の倍数で阿呆になる。単純な仕組みだが、3の倍数としていない点がうまい。
1から始まると、最初は、2つとびに阿呆が出現する。3,6,9である。これが、10台に入ると少し事情を変えてくる。3の倍数に加えて13が加わるので、12,13が連続阿呆となり、14で一瞬落ち着いたのもつかの間、15で再び阿呆が現れる。ここでようやく観客は来るべき段階に気づき始める。20台はともかく、30からは怒濤の展開ではないか。まさしく、21,23,24と期待の展開から、やがて30がやってきて、阿呆が連なる。そして、40で正常に戻り、きざったらしい口調が蘇るのである。
まず、3の付く数字を入れていること、そして、40までというアイデアに感服する。そうでなければ、芸として完結しない。
しかし、世界のナベアツは容赦しない。ここで、8の倍数で気持ちよくなるというオプションを行使する。お気づきだろう。3と8というのは、おもしろい。公倍数が現れるのである。
8はいい。素の気持ちよさを見ることができる。16でも確認ができる。しかし、この16では、12阿呆,14素、13阿呆,15阿呆のあとの16気持ちいいであるため、展開が複雑になり、一瞬、何がもとの状態かを忘れる。そして、観客の期待は、24、32に向かう。公倍数では何が現れるのか。果たして期待通りの阿呆が気持ちよくなった状態が出現し、この芸は、40という落ち着き場所で気持ちよく終わるのだ。
ここにも、40という芸の完了場所の設定が極めて奏功している。
いいなあ、こういうのは。
グーやオッパッピーのようにギャグで受けるのではない、こういう展開をボクはよく好んでいる。不条理な笑いこそ、ボクらの日常の傷を浮かび上がらせるのだ。
その点、そのまんま東は前者の芸人であり、弁護士にしてタレントいう出自がそもそもアンビバレンツで日常と法律を武器に、不条理を浮かび上がらせていた橋下は後者に属する。ゆえに、失言放言がなければ訴求力が失われる。そこが難しいところだろう。青島幸男のようにあきらめた表情になるのか、若さ故、それも選べないか。