死刑論争から

例の事件の死刑判決に対する議論で、少年法について何かを述べようとしたり、永山判決以来の判例などを引き合いにして、死刑が妥当であったかどうかについて論戦を張るとどうやらかなりたたかれている。死刑論争の難しいところだ。
事件の残虐性、被害者の地獄、法律論のやっかいさとその限界。人権をかざせば、同時にふみにじられた被害者の人権が必ず少しずつ前に出てしまうというディレンマ。
チベットでの人権弾圧以来のオリンピックがスポーツの祭典であるかのような錯覚も、どこかで何かが突出すると勝ち馬に乗るように輪をかけて助長する風潮を感じる。
先日のニュースで、まだ1歳にもならない子どもを「発達の遅れを悩んでいた」などを理由に殺めたというものがあった。
価値観が浮遊している。ボクはそんなことを感じている。