塩の道・白池(しらいけ)

お昼近くになってパソコンにかじりついているのが嫌になって、先週訪ねた糸魚川の姫川、右岸の塩の道に入ることにした。最近、あのあたりは元気でそこそこ楽しめるような整備が進んでいる。
いつもはシーサイドバレースキー場のところまでしかいかないのだが、さらに奥の別所、大久保の集落に入る。大久保が越後の最後の集落で、ここからやけに立派な道があって、そこから「しら池」に向かっている。
白池は越後信州境を越える塩の道の峠手前にあるわき水の池で、江戸時代中頃までは歩荷のための宿舎があったという。戸倉山の雪崩で崩壊してからは、その宿も再建されることがなかったが、十年ほど前の調査で礎石が見つかり、往時を偲べるそうだ。
白池ウェルカムと呼ばれる園地はよく整備されている。駐車場にはけっこうなクルマがあった。地元の人らしいおじさんは、ボクらにどこから来たかを問い、自分たちの連れが山頂に携帯とクルマの鍵を忘れてとりにいったと話す。山頂というのは戸倉山だ。大網峠へのルートを少し外れると1時間半ほどで絶景の山頂に立てるそうだ。なるほど、信濃と越後を見渡せるのだから、頸城の山々も白馬の峰峰も全部見えるわけだ。横に並び立つ雨飾山や大渚山も眺望のよさが知られる。なるほど、戸倉山が一番アプローチが早いか。
林道を白池に向かって歩く。クルマは入れない。20分も歩くと、そこら中に遊歩道が設えてある。ブナやナラの新緑が美しい。林道の終点から100歩も歩くと、清々しい水の流れ。白池は近い。東屋が目に入り、そこに雨飾山が広がる。驚くほどの風景。陳腐だが絵はがきのようなできすぎた光景である。山歩きの人たちもしきりにシャッターを切る。駒ヶ岳も厳しく美しい。
池の上方に諏訪神社がある。頸城地方には諏訪神社が多い。諏訪のご祭神はたしかタケミナカタオオクニヌシの息子だったと思う。国譲りでタケミカズチに敗れ、諏訪に敗走するが、そこで独自の文化を守ったとかいう話だったはずだ。信濃の諏訪社が頸城に多いのは、タケミナカタの母がヌナカワ媛であるらしいことと関係があるようだ。今は祠が残るばかりだが、信濃と越後で国境争いのあったこの場所はまた、諏訪社の大切な神事の場所でもあったそうだ。現在も、県境未定地域である。
それにしても美しい。静かで、風も優しい。
お弁当を食べて、今度は塩の道の方を下る。よく整備されていてとても歩きやすい。このまま山口まで歩いてもそれほど苦にはならない。それよりも、もう少しちゃんと装備をして時間にゆとりをもって、大網峠まで行けばよかった。もう2時間も歩けば、峠の向こうが見渡せた。念願の塩の道完走にも一歩近づいたのに。まあ、それはいつかにしようと彼女と話す。
下ったところに広場が広がって、林道がつながっていた。ここからウエルカムに戻れる。途中、林道を外れてどんぐりの小径を歩く。ウッドチップが敷き詰めてあり、とても歩きやすい。こういうのどこだったっけと思い出すと、姫川源流自然園の山だったか。あそこも静かだったが、ここの絶景はホントに驚いた。冬、スノーシューでやってきたらきっといいだろうと思わせる。
ウエルカムに戻り、ついでに、大久保からさらに山に入って戸土の集落を見に行く。実は、そこは信州。峠の手前だが、かつて白池が諏訪社の支配下にあったことの名残らしい。ボクのSUVが4駆で1速で登るような道をほんの少し走ったら呆気なく到着。戸土は「とど」と読む。とどのつまりである。信州最北端の集落だが、今はすべての人が離村している。行事などに戻るばかりだそうだ。
分校の跡地に立つ。小谷村立北小谷小学校戸土分校跡地と石碑がある。本当に、長野県なんだ。カーナビも丁寧に県境を越えたと告げる。「TRICK]のロケにでも使えそうな場所だった。
下ってきて塩の道温泉に浸かる。たまに都忘れの湯もいいかと思ったが、お肌つるつるのこの温泉がいいと彼女が言う。そばでも食べようと思うが、食堂はもう終わってしまっていた。やけに温まるお湯で、よく見るとほぼ源泉。塩素消毒だけをしているとある。長野や新潟は表示がしっかりしている。さすがに観光地としての覚悟が半端ない。いわば品質表示だもの。当たり前と言えば当たり前だが、どこと比べるわけでもないけれど、いや、表示のバリエーションを愉しませるつもりかと思うようなところもある。