Mに寄せる

Mの死刑執行に寄せて、「Mの世代」の大塚英志が「この20年で失われたもの」と題して、朝日新聞朝刊に文を寄せている。「おたく」の名付け人と言われている中森明夫とともに、この事件を「自分たちの問題」として考えてきた一人だ。そういう論客だけでなく、ボクら1960年前後に生まれたものは、MとMを巡る状況から逃げるわけにいかないと思った。実は、そのようなメンタリティがおおよそ多くの人々に共有できるものかどうかの自信はない。

「89年の夏、若者であることを終わり損ねていた」

大塚は、

「殆ど後先考えず、彼の側に立ってこの事件について考えていくことを決めた。それはぼくだけでなく、同世代の幾人かの若者が殆ど本能のようにした選択だった」

と書き、どうやらボクはその幾人かであったらしい。
じっくり振り返るにはもう少し時間が欲しい。大塚もまた、ぼくはぼくの場所できのうまでと同じように語り続けると括る。Mは逝ってしまったが、何も持っていかなかった。ボクらの時間は取り残されたように横たわっている。
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大塚の本を探したら、これくらいしかない。たくさんのサブカル論を書いているのだが。